前稿はこちら→「意欲の低い学生にいかにアクティブラーニングを行うか

筆者が大学生の頃に受けた講義の中で、担当教員が教科書をひたすら音読するだけという講義があった。教授は毎週90分ただひたすら教科書を1行目から順に読むだけで、教室にはマイクを通した教授の声だけが響いていたのを覚えている。

 当時はもちろんアクティブラーニング(AL)などという言葉はなかったが、今になって思うに、ただひたすら教科書を読むだけというのは、ある意味ではよほど胆力がないとできないことだろう。少なくとも、筆者には決してできない(もちろん、したくもない)。

授業や講義がALで「ない」というときには、これくらい徹底して受講生のことを無視したものを意味するのだろう。つまり、受講生とある程度のやりとりをしているなら、それは、その程度はアクティブで「ある」ということであり、ALというのは程度の問題だというのが筆者の見解である。このようにALを絶対的にかくあるべしというわけではなく相対的なものであると捉えたなら、教員による一方向的な講義形式というALでは「ない」ものと、双方向性が生まれるALで「ある」ものとで、何が変わるのだろうか。その一つとして筆者が常々意識しているのは、平等性という点である。

受講生全員に対して一律に同じ知識を提供するのとは違い、ALの場合、受講生の意欲や態度によって提供物が異なることがある。講義中に質問してくる学生と全く質問をしない学生とでは、我々教員が提供する(あるいは、できる)知識に差が生まれてくることは想像に難くないだろう。そもそも全員に平等に発言させるというのは、それだけでも実現するのはかなり困難である。では、ALにおいて教員は受講生を平等に扱えるのだろうか。あるいは、扱うべきなのだろうか。

ALとはその性質上、受講生を(表面的な意味においての)平等に扱うことなどできないというのが筆者の見解である。ただし、ここで平等に扱えないといったからといって、もちろん不公平・不平等に受講生を扱って良いということにはならない。あくまで、その「差」は、受講生の意欲を基準にしたものであるべきだというのが筆者の考えである。

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中京大学
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坂田 隆文

坂田 隆文

中京大学総合政策学部教授、博士(商学)、中京大学教育推進センター委員会能動的学修検討部会部会長。名古屋大学、名古屋市立大学、金城学院大学非常勤講師。マーケティング戦略論、流通論、商品企画論を主な専門とし、「面白さ」と「わかりやすさ」と「有益さ」という3つを重視した講義・研修で定評がある。近著に『1からのリテール・マネジメント』(共編著、碩学舎)、『1からの商品企画』(共著、碩学舎)がある。近年では名古屋で若手企業人を集めた異業種交流勉強会を主宰するなど、活動の場を広げている。詳細は担当ゼミHP(http://www.sakataseminar.jp/)にて。