大阪市立大学大学院文学研究科の仁木宏教授の研究グループは、地中に眠る豊臣秀吉時代の大坂城の本丸周辺をスウェーデン式サウンディング調査によって探査。絵図などでしか知る手がかりのなかった天守台の基礎を初めて確認し、本丸周辺の高さや広がりなどを明らかにした。
豊臣(羽柴)秀吉が1583年(天正11年)に築いた大坂城は、近世城郭の出発点と位置づけられているが、夏の陣による落城後、 徳川方は城全体を分厚い盛り土で埋め立て、その上に徳川大坂城を築いたため、豊臣の大坂城は完全に地下に埋没。現在、地上では全く確認できない。また、大阪城は現在、国の特別史跡に指定されているため、学術目的であっても発掘調査の実施は厳しく制限され、実態の解明はあまり進んでいないのが現状だ。
そこで、仁木教授の研究グループは、スウェーデン式サウンディング調査という方法を採用。これは、金属製のロッド(棒)の先端につけたスクリュー(直径約3cm)を機械で垂直に地中に挿入し、地層を貫する際に必要となる負荷の強弱を測定するもの。この強弱を分析することで、豊臣期と推定される地表面の高さを求めることができる。またスクリューは、石垣の石などにぶつかると挿入できなくなることから石垣の位置や高さを知ることもできる。
今回の調査によって、豊臣大坂城の天守台の北側の外郭地表面を初めて物理的に確認したところ、その標高が30mであることがわかった。また、豊臣大坂城の詰ノ丸の正門「御門矢倉」の南側にある櫓らしき構造物の基礎部分の正確な位置と、基礎部分の高さが約4.5m(残存)であることを初めて確認した。
このほかの調査結果や研究の詳細は、2019年6月30日に開催される大阪歴史学会大会において報告する予定。今後も研究グループは、スウェーデン式サウンディング調査を継続しつつ、電気探査、表面波探査、微動アレイ探査など他の探査方法も取り入れながら、ひきつづき豊臣大坂城の実態解明を進めていく。
参考:【大阪市立大学】豊臣秀吉が築いた大坂城の構造を確認~天守台の基礎を初めて確認。本丸周辺の高さや広がりを明らかに~(PDF)