コラム②

慶應義塾大学病院は2021年4月の大阪の感染状況から、オリンピックやパラリンピック開催時には状況が悪化すると予測。大学も、学生の提出する体育会活動など課外活動実施にあたっての対応策について、不十分なものは差戻す等厳しい審査を行った。結果は、「これ以上は考えられないほど入念な対策が講じられていた」(塾長)とのことで、かなりの数の部、サークルの活動が認められた。首都圏で感染者数が増えた8月には塾生の感染者が減少したことについて、「塾生が社会の中での責任を果たしてくれた」と塾長は振り返る。

 

 

日本の大学のこれからについて世界の一流大学から取り残されないために

 相対的ではあるにせよ、国際的な地位が下がってきていると言われる日本の大学ですが、今後は、大学間で競争するのではなく、国際展開も含め互いに協調していくべきだと考えています。

 例えば世界の学長が集う国際会議で、東大や、早稲田、慶應が個々に発言するより、「われわれは力をあわせてこんなことをしたい。だから一緒にやりませんか」と訴える。その方が耳を傾けてもらいやすいのではないか。大学入試改革に限らず今の日本の教育界では、少子化を理由に後ろ向きな議論になりやすいが、最悪に備えながらも前向きに考え、世界を視野に、節度を持って協調することに活路を求める方がはるかに建設的ではないでしょうか。

 ちなみにある国際会議では、「コロナ禍における学長の一番大事な仕事は」と問われた際に、日本を含むアジアの学長の多くが「学生の教育」と答えるのに対して、欧米の学長の多くは「資金の獲得」と答えました。事実、すでに一度に何兆円も集めてそれを運用している大学も少なくありません。しかし、例えば慶應がこうした競争に加わろうとすることは、世界の1%の富裕層を目指して平均的な日本人が財テクに走るようなもので、しようと思ってもできないし、また目指すべきでもない。日本の大学には、節度を守りみなで協調していいものを作るために努力しようというような、独自のやり方があるのではないでしょうか。

 

 

分野横断による教育改革

 慶應では、レベルの高い学生、教員、職員を一番の宝と考えていますが、私はこの3者をしっかりと横につなげ、様々な改革を行っていきたいと考えています。そして、世界が称賛するような学術的成果を生み出し、エネルギー問題、アジアの安全保障といった世界的な課題や、コロナ禍における経済支援や社会のデジタル化の後方支援といった国内の課題に対しても的確に提言していきたい。もちろんその過程では、福澤先生が「多事争論」※3 と言われたように様々な意見が生まれてくることが望ましい。それが学生たちに様々な見方のあることを気づかせ、彼らの視野を広げ、新しい社会をデザインするのに役立ててもらえるからです。

 おりしも学術研究の世界においては、文理融合や学際融合など、20世紀までに深めてきた専門の垣根を一度解き放ち、異分野横断で新たな総合知を生み出そうという動きが目立ってきています。教育も足並みを揃え、リベラルアーツの見直し、STEAMなどの新たな概念の提唱も始まりました。

 そこで改革の一つと位置付けているのが、学生をまん中に置いた教員の連携、それが誘発する分野横断の学びの拡大です。すでに博士課程教育リーディングプログラムの実施を契機に、優れた研究業績をあげ改革に前向きな教員が、学生を介して協調し、組織を超えた連携を進めています。例えば医学部のプロジェクトにおいても、生命倫理や個人情報の取り扱いについては法学部の教員から、AIについては理工学部の教員から学ぶというように、組織の壁を越えて学生は複数の教員から学べるようになっています。

 学生を中心に、高い専門性を持った教員が横につながっていく。学生が自分事として、将来の社会設計のためにと助言を求めると、教員もそれに向き合い、応える中で専門性を高めていける。現在湘南藤沢キャンパス(SFC)も含めて、協調と組織を超えた連携の進め方について教員間で活発な議論が行われていますが、協調する教員が増えれば、教員の専門性をこれまで以上に引き出すことができますし、大学全体の教育・研究レベルを確実に向上させられると期待しています。慶應の力を最大限に引き出すためには、外から見てわかりやすいフラッグシップとなるような組織、学部を作るという選択肢もありますが、当面はこの流れを学部教育でも実施し加速させていきたい。改革には、学生が自分の将来に直接かかわることとして協調してくれることも大切だからです。

※3 多事争論 福澤諭吉は著書「文明論之概略」で「自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し」と記す。

 

あらためて「半学半教」を

 学生をまん中に置くということにはもう一つ理由があります。テクノロジーの急激な変化によって、ICTでは教員より高い技術・能力を身につけた学生や、地球環境に関してはサステナビリティ・ネイティブとでも呼べるような高い意識をもった学生が増えてきたため、教える側と教えられる側という分け方にそれほど意味がなくなりつつあるからです。もちろんこれまでのように、良質な文学や哲学などの普遍的な学問を、教員から学ぶことを否定しているわけではありません。ただ、慶應義塾の精神である「半学半教」※4の理念が再び活かされる時代が訪れようとしているのは確かです。

 2年前に立ち上がった「AI・高度プログラミング・コンソーシアム」では、AIに詳しくプログラミングに長けた学生が他の学生に教えるという試みも始まっています。AIのように技術が日々進化するものは、学問として体系化されていないため科目になりにくい。とはいえ企業のインターンシップではプログラミング能力が問われることもある。そうした学問とビジネススキルとのギャップを、学生同士が学びあうことで埋めるという相乗効果も期待できます。

 大学教育改革についてはこれまで、国主導の施策が次々と打ち出されてきましたが、私たちの進めるこのような改革はそれとは一線を画します。私たちが始めた量子コンピュータ研究※5が東大にも広がったように、今後このような改革が他の大学へも広がってくれることを期待しています。

※4 半学半教 教員と学生の分を定めず、先に学んだ者が後で学ぼうとする者を教えるという、慶應草創期からの理念。
※5 2018年に理工学部矢上キャンパスに最先端量子コンピュータ研究拠点として、Keio University Quantum Computing CenterにIBM Q Network Hubを開設。その後2019年には東京大学が量子コンピュータについてIBMとパートナーシップを締結。

 

スタンダリゼーションを超えて新しい授業、新しいキャンパスを作る

 コロナ禍によって教育の様々な問題点があぶりだされ、ポストコロナへ向けて教育は今、大きな転換期を迎えています。こうした中では、スタンダリゼーション、標準化ということにどう向き合うかも大事です。明治以来、教育の標準化を徹底してきた日本は、戦後、世界的な学力テストでトップとなるなど、それを高度経済成長の原動力としてきました。しかし今日のような変革期では、それにこだわり過ぎては改革を滞らせる恐れもあります。

 私大連(一般社団法人日本私立大学連盟)では、「ポストコロナ時代の大学のあり方――デジタルを活用した新しい学びの実現」(2021年7月)として、対面授業をどこまでオンライン授業で代替できるかについて提言をまとめ、新たな大学教育の方向性を示しました。そもそも一律の規定を定めることが妥当なのかは疑問です。

 例えば、フィールドワークに出ている人がコンピュータ端末で観察対象を見せ、教室にいる人が「もっとこっちにずらしてみてください」という具合に授業が進められた場合、これはオンラインによるものなのか、対面でのものなのか判断しにくい。新しいことにチャレンジしようというとき、標準化にばかりこだわると足かせとなります。

 儒学全盛で、しかも開国を巡って、西洋を夷狄とみなす人たちがいた幕末から明治にかけて、福澤先生が大変な勇気をもって洋学を持ち込んだように、私たちも未来を見据え、教育の本質を追い求めていきたいものです。来年4月からは、対面授業を全面的に行う予定にしていますが、全てコロナ前に戻るわけではありません。例えば理工学部の実験の授業について、私は以前から前もって説明ビデオを視聴してくることを提案していましたが、今やこれも可能です。今後は教員と学生で新しい授業、キャンパスを積極的に作っていきたい。1年半にわたり、通常のキャンパスライフができないままだった今の2年生については、まさに《新しいキャンパスを作っていく人たち》として、励まし続けていきたいと思います。

 

受験生へのメッセージ

 最近は、志望校選択において塾や保護者の影響が強まっていて、みなさんはその殻を破りにくくなっているように感じています。しかし将来、明るく楽しい、豊かな社会を作るのは他ならぬみなさんです。将来に悔いを残すような選択は極力避けてほしい。大学へ行かなくてもできることもあります。また第1志望合格を貫いて浪人するという選択肢もあるでしょう。

 最悪を想定する知力と想像力は、高校時代から育めます。チームワークも大切にしてほしい。前に進むためにも困難を克服するためにも欠かせないからです。みんなとともに新しい社会を作るためには、周りから応援される人、言い換えると「祝福された勝者」にならなければなりませんが、そのためには無駄とも思えることもたくさん経験することです。無駄は人生において必ず何かに役立ちますし、それを省くような人には誰もついてきません。そして社会の様々な問題に対して、「このままではだめだ」「こういう社会を作ってはどうだろうか」と諦めずに前向きに話し合うことです。

 質の高い教員の揃う慶應義塾では、ここまでお話ししたように、教員同士の協調も進んでいます。他の大学と同様、私たちはみなさんにより良い環境を用意すべく全力で努力していきたいと考えています。

 

慶應義塾大学塾長

伊藤公平 先生

1989年3月慶應義塾大学 理工学部 計測工学科 卒業
1992年12月カリフォルニア大学バークレー校 工学部 M.S.(修士号)取得
1994年12月カリフォルニア大学バークレー校 工学部 Ph.D.取得
1995年4月慶應義塾大学 理工学部助手。専任講師、助教授を経て2007年4月から教授
2016年11月~2017年3月大学グローバルリサーチインスティテュート副所長。
2017年4月〜2019年3月慶應義塾大学理工学部長・理工学研究科委員長
2021年5月から現職。慶應義塾高等学校出身

 

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大学ジャーナルオンライン編集部

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