鎌倉時代の歌人・藤原定家(1162~1241年)が800年前の京都で目撃し、日記「明月記」に書き残した「赤気」がオーロラであることが、京都大学、国立極地研究所、国文学研究資料館、総合研究大学院大学などの研究グループの調査で分かった。研究成果は米国地球物理学会が発行する学術誌「スペース・ウエザー」にオンライン掲載された。
京都大学によると、研究グループは明月記や中国の歴史書「宋史」など歴史文献に残されたオーロラの記述と、樹木年輪の炭素同位体比を比較し、7世紀から13世紀の巨大磁気嵐発生パターンを明らかにした。
明月記には1204年2月21日と23日に京都で赤気が見え、「山の向こうに起きた火事のようで重ね重ね恐ろしい」と書かれている。研究グループは太陽フレア(※1)などがあったとみて調べたところ、宋史の同じ日の記録に活発な太陽活動を示す巨大黒点の観測記録が見つかった。
さらに、過去の地磁気の変化を調査した結果、現在の京都でオーロラを見ることはほぼ不可能だが、13世紀初頭はオーロラを観測できる条件にあったことも分かった。
宋史のオーロラ観測記録と、屋久杉などの年輪に残る太陽活動の周期的変化を照合してみると、太陽活動の極大期にオーロラが観測される一方、太陽活動が弱まった11世紀前半には一度も記載がなかった。
太陽フレアが起きると、高エネルギー粒子が地球に到達して磁気嵐を起こし、高緯度地域でオーロラが観測される。巨大磁気嵐の影響で人工衛星の故障や大規模停電などが懸念されている。研究成果は太陽活動の長期的変化と巨大磁気嵐の予測に役立ちそうだ。
※1 太陽フレア 太陽表面の大規模な爆発