東北大学の研究グループは、全世界で数千万人の死者を出した100年前の「スペイン風邪」の時期に発行された日本の医療業界誌を分析し、当時の医学界が国内感染爆発に至るまでスペイン風邪に関心を持っていなかった可能性を明らかにした。
1918年から1920年にかけて、スペイン風邪が世界的に流行し、全世界で数千万人の死者を出した。研究グループは、この時期に発行された医療業界誌『日本之医界』(東北大学附属図書館医学分館蔵)3,856本の記事を分析し、以下の2点を明らかにした。
1918年3月以降の世界的流行とともに、日本でも都市部や軍隊の駐屯地を中心に感染が広がっていたが、スペイン風邪流行に関する記事の掲載は、日本国内で感染爆発が起きた1918年秋以降だった。日本の医学界は流行初期段階でスペイン風邪に関心を寄せていなかった可能性が示唆された。
また、ウイルスがまだ確認・可視化されていなかった大正当時、『日本之医界』は、スペイン風邪の病原体として、北里研究所が提示したインフルエンザ菌説を支持していた。これは、北里研究所と東京帝国大学・国立伝染病研究所の政治的対立や『日本之医界』の属する学派などが影響していたと考えられる。
スペイン風邪流行時の日本では、マスク着用や感染者との距離を保つなど、基本的に現代と同じ合理的な対策がなされていた。一方で、病原体が特定できない状況下で、科学以外の要素が病原に関する議論に影響を与えることも明らかになった。今回の研究成果は東北大学災害科学国際研究所内で開催してきた「“スペイン風邪”文理連携勉強会」メンバーによるものだ。