熊本大学の小畑弘己名誉教授らは、縄文時代の網製品を、土器中や土器表面に残る「圧痕」から復元することに成功した。
有機物製品である網は分解されやすく、遺跡に残りにくいため、これまで縄文時代の網は愛媛県の船ヶ谷遺跡から発見された1例のみである。使用された撚糸の大きさや撚り方向、結び方などの構造もまったくわかっていない。
一方、北海道で発見された縄文時代の「静内中野式土器」には、「網状混和物」を混入して作られたと思われる土器群がある。さらに、九州では縄文時代晩期〜弥生時代早期の土器の離型材として網を使用した「組織痕土器(網圧痕)」が多数発見されている。しかし、これらの網状製品や網圧痕の種類や構造解明のための十分な検証が行われておらず、縄文時代の「網」の実態は不明のままであった。
そこで、小畑教授らは、X線CT撮影やレプリカの作製を用いて、静内中野式土器と組織痕土器から、撚糸のサイズや撚り方向、結び方、網目サイズといった網の構造の復元を試みた。その結果、静内中野式土器の撚糸は1段左撚り、結び方は「本目結び」であり、土器粘土紐の芯材として入れるために長い(網目サイズが大きい)漁網が好まれていたとみられることがわかった。組織痕土器の撚糸は1段右撚り、結び方は「止め結び」であり、漁網とは異なる布織りの技術が用いられていたことから、組織痕土器の粘土と型との間に敷く離型剤としての役割を果たした網は、漁網ではなく袋などの網製品とみられることがわかった。
さらに、静内中野式土器ではサイズの異なる網が同じ土器の芯材として利用されており、組織痕土器では破れた網も使用されていたことを見出した。これらの結果から、縄文時代の土器製作において、使用済みの網製品や漁網が素材や道具として再利用されていたという新しい事実が明らかとなった。
本研究の手法は、有機物製品の復元に有効であり、学術的にも意義深い世界初の試みである。同様の考古学的背景をもつ世界各地の土器にも適用可能であり、先史時代の暮らしや道具の復元研究に寄与すると考えられる。