小倉藩(今の福岡県東部)主の細川家がブドウ酒を醸造していた期間はこれまで、1627(寛永4)~1630(寛永7)年とされてきたが、1632(寛永9)年にも行われていた可能性を示す文書を、熊本大学永青文庫研究センターの後藤典子特別研究員が発見した。細川家は1632年、肥後藩(今の熊本県)に国替えとなっており、移転の直前までブドウ酒醸造を続けていたことを示唆している。

 熊本大学によると、発見された資料は細川家の奉行組織のトップに当たる惣奉行が藩主細川忠利の命令を書き控えた史料の「奉書」で、日付は1632年8月20日。「ブドウ酒を造らせるとの殿さまの命令を上田太郎右衛門が奉行所に伝えてきた」と記されている。上田太郎右衛門は南蛮伝来の技術を習得した家臣で、1627年からブドウ酒を造っていた。

 さらに、上田太郎右衛門がブドウ酒の原料となる山ブドウの一種のガラミ調達を惣奉行に依頼するよう指示されていたことが記載され、その部分に「ガラミを太郎右衛門に渡した」と書き加えられている。実際にブドウ酒が醸造されたかどうかを示す記述はないが、上田太郎右衛門によるブドウ酒の醸造は10日ほどでなされたことが分かっており、遅くとも9月にブドウ酒が仕上がっていたと考えられる。

 細川忠利が国替えで熊本城に入ったのは12月9日。肥後で細川家がブドウ酒を醸造していた記録は残っていない。後藤特別研究員は細川家がブドウ酒を造らなくなった理由について、ブドウ酒が禁教となったキリスト教徒の飲み物であるのに加え、国替えが直接の契機になったのではないかとみている。

参考:【熊本大学】細川家による葡萄酒製造の下限を示す寛永9年(1632)8月の史料を新たに発見(PDF)

大学ジャーナルオンライン編集部

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