2015年7月11日、任天堂社長の岩田聡氏が逝去されました。岩田氏は1978年に東京工業大学東京工業大学5類に入学しました。在学中からゲーム制作会社のハル研究所にアルバイトとして関わり、1982年の卒業と同時に同社に入社しました。その後、1993年にハル研究所社長、2000年に任天堂取締役、そして2002年に任天堂代表取締役社長に就任しました。この度の訃報に際して、東工大がコメントを発表しました。

かつて岩田氏と交流があり、東工大教授を務める3氏のコメントを要約しました。
◆大学学部時代の同級生、植松友彦教授
 岩田氏は国産のパソコンが発売される以前からパソコンを所有し、いち早くプログラミングに取り組んでいました。ソフトウェア関連の授業や実習では誰よりも正確に、速くプログラムを書くなど抜群の才能を発揮していました。
◆研究室の先輩、佐伯元司教授
 研究室ではタブレット上にペンで手書きした数式を認識させるプログラムの開発を行っていました。当時としては素晴らしい性能で、今思えばニンテンドーDSのタッチパネルの機能の原型だったのかもしれません。また明るく、同級生の面倒見も良くリーダーシップの片鱗を見せていました。
◆ハル研究所のアルバイト仲間、松岡聡教授
 岩田氏と共にゲームの開発に明け暮れましたが、やがて自身の研究に専念するためにハル研究所を離れることになります。その際に岩田氏から自分はゲーム業界で、松岡は研究できっと成功するだろう、と2人の成功を確信する言葉をかけられました。その後の岩田氏は「和製ビルゲイツ」ともいえる先見の才を発揮し、時代を創りました。

 いずれも岩田氏の並外れた才能について触れられています。ニンテンドーDSの脳を鍛えるゲームは一世を風靡しましたが、学生時代にその核になるタッチペンの技術の研究に従事していたというのには驚きです。55歳という年齢での突然の訃報はあまりに早すぎるというほかありません。
出典:【東京工業大学】岩田聡氏を悼んで

大学ジャーナルオンライン編集部

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