1950年代に胎児に重篤な四肢奇形を起こしたサリドマイドは、今では世界のがん患者を救う希望のくすりとなっている。
サリドマイドには右手型と左手型の鏡像異性体が存在し、左手型にのみ催奇形性があることが、1979年、ミュンスター大学のBlaschke教授らの動物実験により報告された。つまり、右手型ならば奇形性誘発がなく安全だという実験結果であり、事実、サリドマイドがハンセンやエイズなど多様な疾患治療薬になることがわかった現在では、世界各国で再認可に至っている。
一方、1990年代になって、サリドマイドは右手型であっても左手型であっても体内でそれらの平衡混合物になる(ラセミ化する)という新しい事実がわかった。体内でラセミ化するならば、右手型と左手型で異なる動物実験結果を与えるとは考えにくく、Blaschke教授らの報告と矛盾することになる。この「サリドマイドパラドックス」は、これまで説明することができなかったという。
名古屋工業大学の柴田哲男教授らは、今回、生体内自己不均一化現象を用いてこのパラドックスを説明することに成功した。
柴田教授らが立てた仮説は以下のようなもの。まず、右手型サリドマイドが体内で左手型サリドマイドとの等量混合物(ラセミ体)に変化した後、さらに自己不均一化によりラセミ体と右手型サリドマイドに分離する。ラセミ体は溶解性が極めて低いために血液中から追い出され、安全な右手型サリドマイドだけが残って代謝経路へ取り込まれる。
この仮説に基づき実験を繰り返した柴田教授らは、サリドマイドが生体内で自己不均一化現象を起こすことの裏付けにも成功した。本成果は、Blaschke教授らの報告の妥当性を支持し、安全なサリドマイド型医薬品開発の大きな弾みになると期待できる。同時に、鏡像異性体の存在する医薬品を扱う際は、生体内自己不均一化現象が起こりうる可能性を考慮すべきといえる。