2024年1月1日の「能登半島地震」から10カ月。金沢星稜大学の大久保 英哲学長は9カ月も経てば、奥能登の道路も宿泊施設も復旧が進んでいるであろうと、「2029年、鎮魂・復興の能登半島一周駅伝を!」と題し、かつての日本学生三大駅伝であった能登駅伝の復活開催を目指し、9月末から10月にかけて市民講座を開講、50年前のコースも現地調査しようと計画していました。しかしその見通しは楽観的過ぎました。加えて、9月20日過ぎから能登は大豪雨災害に見舞われてしまいました。

能登を襲った多重被害

 能登5市町27河川で氾濫、洪水、土砂崩れ、山津波が発生、死者13名、断水3641戸、停電950戸の大被災となりました(北陸中日新聞2024.9.29)。もはやどこまでが地震の影響でどこからが豪雨の追い打ちなのか定かではありません。二重被災どころか多重被災といえるでしょう。避難所暮らしからやっと自宅や仮設住宅に移って、新たな生活を開始し始めた矢先の被災でした。泥水にまみれ、救助ヘリの風圧によろけながら、乗り込むお年寄りたちは隊員に手を合わせて「気の毒な」とつぶやいています。加賀・能登の方言で「ありがとう」の意味です。「気の毒な」というのは日本中のわれわれの共通の思いです。

 多くの能登の人々からは、ため息交じりに「心が折れた」「とどめを刺された」との言葉が漏れます。その姿は物理的な災害以上に、「無力感」「徒労感」「やるせなさ」に打ちひしがれているように見受けられます。遠慮がちな能登の人々は、再びいつ見舞われるかもしれない災害への将来への不安もあって、無念の思いをこらえ、「心が折れる」「とどめを刺された」と申し訳なさそうに語ります。見ていられません。

「能登丸」の救出、修復、大改修は国家プロジェクト

 私は能登半島の創造的復興に当たって、能登を大きな船「能登丸」に見立てて考えるのが分かりやすいのではないかと考えています。丸というのは、人やイヌなどの獣、刀剣、船、城砦、薬などの名に添える語です。人知を超えるような神的な強靭さを有する強きものを意味します。かつては青森と函館を結ぶ青函連絡船は「八甲田丸」「十和田丸」などと名付けられておりました。大阪城の「真田丸」も有名ですね。

 今、その「能登丸」からは遠慮がちな救難信号が発せられています。遠慮しなくてもよいのです。受信した私たちは先ず乗客・乗員、乗組員を救出しなければなりません。安全な船内移動、もしくは船外への一時的な避難も躊躇(ためら)ってはなりません。そのあと「能登丸」の修復と大改修に取り掛かり、生活や生業(なりわい)を再建し、日本海の荒波や災害にも耐えられるよう抜本的な対策を立てねばなりません。それには「能登半島の創造的復興プラン」以上の、10年余を要するかもしれません。したがってこれは国家的なプロジェクトであり、同時に我々一人ひとりがその負担を担う覚悟と決意を要するプロジェクトでもあるでしょう。

We are with you!

 2011年の東日本大震災。東北三陸に縁(ゆかり)のある私は、当時の国内外からの緊急支援隊の懸命の活動、世界中から寄せられた様々な支援に大きな励ましを受けました。その中でいまだに忘れられないお見舞いメッセージがあります。東南アジアのある貧しい国からの映像でした。数十本のろうそくの灯を背景に“We are with you!”の言葉が添えられた映像でした。それ以来、現在に至るも、We are with youにあたる日本語を考えてきました。「一人じゃないよ」「傍にいるよ」「忘れない」「今度また行く(来る)ね」。

 珠洲市若山町は今回の豪雨災害にも見舞われた被災地の一つです。9月6日に珠洲市社会福祉協議会の斡旋で、若山公民館で「星稜サロン」を開いたばかりでした。特別な作業を伴うボランティア活動ではありません。バス1台で学生や教職員十数人が訪問し、若い学生さんがお年寄りの皆さんの肩叩きやマッサージをしながら、話し相手となり、また簡単な手芸やゲームで一緒にひと時を過ごしただけのことでした。それにもかかわらず、仮設住宅で孤立感を深めつつあるというお年寄りの皆さん、それらを縁の下で支えてくださっている地元社会福祉協議会の皆さんにはとても喜んでいただきました。皆さんのやるせなさ、不安、孤立感を受け止め、子や孫のような学生さんたちが、We are with youとのメッセージを伝えたことが喜んでいただけた大きな理由だったのだろうと思います。若山の皆さん「どうぞ息災に!今度また行くね」。

金沢星稜大学ができること

 金沢星稜大学の学生の皆さん、教員、職員の皆さん。個人や友人同士、ゼミやサークル、部活、職場単位など、折を見て様々な能登丸救難・支援に出かけましょう。自分たちの体力やボランティア技能に合わせて、無理のない活動範囲で。We are with youでよいのです。大学ではそのようなボランティア活動を全面的に支援いたします。詳しくは本学SDGs産学地域連携センターまで相談ください。

 金沢星稜大学では、中期計画に「能登半島の創造的復興とともに歩む」と明記して、今後も引き続き「能登半島の創造的復興」に努力してまいります。

【参考文献】北陸中日新聞2024.9.29 1面および12面「半島記者のつぶやき」(前口憲幸)
【引用】金沢星稜大学 学長コラム2024.10.1『能登応援メッセージ「能登丸からの救難信号」』

金沢星稜大学

大久保 英哲 学長

1950年青森県生。1982年筑波大学大学院体育研究科修了。1997年博士(学術)。
盛岡大学講師、金沢大学助教授、教授。2015年名誉教授、金沢星稜大学特任教授。2020年金沢星稜大学女子短期大学部学長を経て、2022年より現職。専門は体育・スポーツ史。『明治期比較地方体育史研究』『纏足から天然足へ 日本統治前期台湾の学校女子体育』『箱根駅伝を超えようとした幻の能登駅伝』ほか著書・論文多数。スキー・スケート、テニス、ウォーキングを趣味とする。「学長コラム」「学長室の窓から」(~2024.3/短大部)を大学WEBで公開している。

 

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