成長の限界にいかに立ち向かうのか
ローマクラブの「成長の限界」の予想によると、世界経済は2020年をピークとして急速に落ちていき、2100年には、GDPは現在の10分の1まで下落します。日本では明治時代ぐらいの豊かさです。終戦後でさえ明治初期より豊かであったことを考えると、想像を絶する貧しさでしょう。これは産業革命以降の人類が初めて直面する困難です。成長に限界があるのは資源がなくなるからで、石油はもちろん、鉄などの再生可能ではない資源が不足します。
その限界を突破するには、資源をできるだけ使わずに、生産性を伸ばすしかありません。これは人知の及ばない課題であり、人間の知能をはるかに超える機械超知能にしか解決できないと、私は考えています。
超知能が生まれる科学史的瞬間を「シンギュラリティ(特異点)」と呼びます。それ以降は超知能が技術革新を担うため、人間には行方を予測できないことからこう呼ばれています。アメリカの未来学者カーツワイルは、2045年に、全人類と同じぐらい、つまり人間の10億~100億倍賢い機械が誕生すると予測しています。これがどのような存在なのか今のところ見当もつきません。
超知能を巡る楽観論と悲観論
カーツワイルは、超知能ができると、環境汚染も食料問題も解決されて、さらに人間の死すらなくなるという極端な楽観論を主張しています。「テクノユートピア的世界観」です。
一方、極端な悲観論は、映画「ターミネーター」「マトリックス」のように、人間がコンピュータに滅ぼされる、あるいは支配される未来です。宇宙物理学者のスティーヴン・ホーキングやマイクロソフト創業者のビル・ゲイツなどがこの立場です。私はこの立場を「ハリウッド的世界観」とよんでいます。
私は、この極端な予測はどちらも実現しないと考えています。もちろん超知能はできるでしょうが、人類も存在します。危惧されるのは、ある国が超知能を独占し、世界覇権を握る、あるいは、富裕層だけが不死になって、一般大衆は悲惨な生活を強いられる映画「エリジウム」のような超格差社会です。
- 1
- 2