前稿はこちら→「アクティブラーニングに座学は必要か」
アクティブラーニング(AL)という言葉が広まってからというもの、筆者が個人的に不思議に思っていることがある。それは、「学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称」をALというときに、能動的に「させる」のがALなのか、それとも、「もともと能動的な」学修者を指導するのがALなのかという疑問である。仮に前者だとすれば、本来内発的に生じるはずの能動性を指導者側が外発的に「させる」といっている時点で、語義矛盾になるのではないかというのが、筆者が抱いている根本的疑問である。
筆者が担当する大規模教室における講義では、それほど意欲に溢れず、2単位がとれればそれで良いという学生もいるようだ。そういった学生に対して「~しなさい」と言うようなことはしない。試験結果さえ筆者が課す一定レベルの水準に達していたなら、それで単位を出すようにしている。逆に、貪欲に色々な知識を吸収しようという学生に対しては、良書を薦めたり、更なる学びの機会を与えるようにしている。ポイントは、そこで「もっと学びたい」と思ってもらえる「何か」を私自身が提供できるかどうかということに尽きる。
受講生が3桁を超えるようになると、全員が全員、非常に高い水準の意欲を持っているということは稀である。そのため、下限だけは明確に定めておいて、上限は受講生(その人)次第というスタンスをとっている。実際、かつて、「成績には反映させないが、提出されたものには全てコメントを添えて返却する」と事前に伝えてレポートを課していたことがある。自分のレポート作成能力や専門知識を伸ばしたいと思う学生だけ提出すれば良いと判断したためだ。200名ほどいた受講生のうち、提出者は平均すると10名程度だった。もちろん、提出されたレポートには懇切丁寧にコメントを書いたのは言うまでもない。