さらにいえば、当該活動を「やらない」という選択肢にも、責任が伴う。このコンテストに参加しない学生は、そこで学べるもの、経験できることが得られなかったであろう。すると、その次に本人がやりたいと思う活動があったとしても、そちらには参加させられないということがある。たとえば筆者は数年前より2ヶ月に1回ほどの頻度で中部圏の企業人を集めた異業種交流勉強会を開催しており、ここには若手企業人から上場企業の役員クラスの方までが集まっている(写真)。学生が「この会に参加したい」と言ってきても、それまでの活動で一定の水準に達する能力を有していないと、参加は認められない。筆者が担当ゼミでイメージしている成長のステップは図表1の通りである。
このステップの最後まで到達する学生もいれば、2つめか3つめで止まってしまう学生もいる。指導教員としては、本人が意欲をもっていれば、上のステップへ進むための手助けをするに過ぎない。要するに、本人次第なのであり、決して「~させる」というスタンスはとらないようにしている。
では、このようなスタンスは「高度な、あるいは充実したALを行えるのは高偏差値校だけではないか」という指摘にもあるように、もともとの学生の能力が高くなければ有効ではないのだろうか。筆者はそうは思わない。筆者が勤務する中京大学総合政策学部という学部は、「河合塾2016年度入試難易予想ランキング表」によれば、偏差値45~50とのことだ。要するに偏差値という基準でみれば、平均(以下)であり、決して高い水準の学生を相手にしているというわけではない。
ALで問われるのは「意欲」であり、もともと受講生が有している「能力」ではないというのが筆者の見解である。もちろん、もともとの学生が能力が高ければ高いほど、そこで行える活動も高度なものになるであろう。しかし、高いには高いなりの、低いには低いなりの「学び」の材料はあるはずである。肝心なのは、意欲の高い学生に対していかに彼(女)の成長を促す材料を提供できるか、これに尽きるのではないだろうか。
シリーズ「アクティブラーニングの実効性における課題と解決方法」
第1回:アクティブラーニングのテーマはどう選ぶべきか
第2回:アクティブラーニングに座学は必要か
第3回:意欲の低い学生にいかにアクティブラーニングを行うか
第4回:アクティブラーニングにおける評価の難しさ