ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルとハマスとの紛争など、平和を揺るがすニュースに日々接する中で平和学や平和構築※に注目が集まっています。凄惨な暴力を経験した人々は、どのようにして平和を取り戻せるでしょうか。紛争を再燃させないためには何が必要でしょうか。冷戦後に多発した内戦後の平和構築について、フィールドワークに基づく研究で成果を上げてこられたクロス京子先生に、私たちにできることについてアドバイスをいただくとともに、所属する国際関係学部の学びについてもお聞きしました。

※平和学は、国家間の戦争だけでなく、国家以外の集団間で起きる暴力の発生原因や平和を阻害する要因を分析し、平和の諸条件を分析する学問。平和構築は、平和学から発生した概念で、紛争後の復興や再建という意味で1990年代以降、国連の政策用語として広く知られるようになった。

 

平和学、平和構築との出会い

 私が平和学や平和構築に関心を持ったのは、冷戦が崩壊し、世界中で内戦が勃発していた時期でした。アパルトヘイトという人種隔離政策が撤廃された南アフリカでは、ネルソン・マンデラが大統領に就任した後、白人による黒人差別など過去の不正義をどのように克服するかという重要な課題に直面していました。このとき設置されたのが、「真実和解委員会」でした。この委員会による問題解決は、刑事裁判による処罰でも、誰も罪に問われない恩赦でもない、真実を知ることによって共存の道を探る「第三の道」と評されます。被害者やその家族、加害者などからの聴取を行い、アパルトヘイト下でどのような暴力が誰によって行われたのか、真実の解明を行うとともに、メディアを通じて広く社会全体で事実関係を共有しました。また、公聴会と呼ばれる公開の聞き取り会では、被害者が自分の辛い経験を語り、加害者がそれを傾聴して謝罪するなど、被害者と加害者間の和解のシーンを広く国民が目にし、新生南アフリカの国民を勇気づけることになりました。

 このような紛争解決方法があることを知った私は、紛争を経験した社会がどのように痛ましい過去を克服していくのかを研究するために、シエラレオネやリベリアなどのアフリカ諸国、東ティモールやフィリピンなどの東南アジアの紛争地に赴き、紛争後社会の平和構築の実態をつぶさに研究してきました。あわせて紛争下における女性に対する性暴力や、それらが女性や社会全体に与える影響についても研究してきました。

移行期正義って?

 幅広い活動を含む平和構築の中で、特に私が力を入れて研究してきたのが「移行期正義」(transitional justice)です。南アフリカの真実和解委員会の活動もその一例ですが、紛争後の社会における正義のあり方を意味します。過去の暴力や犯罪に対しては真相究明と責任追及を行い、将来の紛争防止のために制度改革を行う、過去と未来に働きかけるプロセスです。以下の4つが主なもので、紛争の過程や、その規模、原因など、個別の状況に応じて組み合わせることでよりよい道筋を探ります。

① 真実委員会などによる真相究明
② 刑事裁判による責任の所在解明と処罰
③ 警察や軍隊、憲法など国の仕組みを より民主的なものへと改革
④ 補償・賠償(金銭的補償に限らず、博物館や石碑のような過去を忘れないためのシンボル設立も含まれる

遠い世界での紛争を身近に感じるためのトレーニングを

 私が授業やゼミで暴力の構造を説明するときに使うのが、ヨハン・ガルトゥング※の暴力の三角モデルです。紛争に限らず、人々は目に見える「直接的暴力」に目を奪われますが、それは暴力の一部に過ぎず、その水面下には「構造的暴力」と「文化的暴力」と呼ぶ二つの暴力が潜んでいるとする考え方を表わしたものです。

 構造的暴力とは、社会や政治、経済システムの中に組み込まれた差別や不平等を生み出す構造を指し、直接的暴力ではない形で間接的に生命や人生・自己実現の機会を奪う要因とされます。一方、文化的暴力は、直接的暴力や構造的暴力の存在を正当化する偏見や差別的な考え方とされます。

 身近な問題に例えると、「男性はこうあるべきだ」や、「女性はこうあるべきだ」という性別役割分業や家父長的な考え方(文化的暴力)は、女性の経済的自律を阻み男性に依存させるような社会システム(構造的暴力)を正当化し、また女性を劣った存在として従順でない女性への暴力(直接的暴力)を生み出すと考えられます。この考え方に基づけば、障がい者やLGBT、さらには外国人に対する偏見や差別構造など、目には見えない文化的暴力や構造的暴力が存在し、直接的な暴力となって現れる危険性に気づくことができます。こうした日本社会にある身近な問題をこの暴力の三角構造から捉えてみることで、自分たちの周りには「紛争の種」が転がっていることに気づき、世界の紛争との距離を縮めるトレーニングができます。

※Johan Vincent Galtung:1930年~2024年。ノルウェーの社会学者・数学者、平和学の父と呼ばれた。

高校生へのメッセージ

 平和構築や紛争解決などに興味のある人は、できるだけ広い視野を持つために本や新聞など多様な情報源に当たり、多様な立場を理解する力、理解しようとする態度を養ってほしいと思います。例えば、特定の国の人たちに対する偏見はないでしょうか。一つの情報から判断することなく、どの国にも多様な人々がいてそれぞれの生活があることに気づいてほしいと思います。

 ウクライナ紛争やパレスチナ問題など、目を覆いたくなるような暴力に対し、自分たちに何ができるのかと質問を受けることがよくあります。直接的な支援ではありませんが、日本に住む私たちができることとして、政治に関心を持ち行動することを勧めています。日本政府は世界平和のために何をしているのか。ウクライナ問題や中東の紛争に、日本の政治や経済はどのように関わっているのかなどに関心を持ち、投票行動を通じて自分の意志や意見を表明するのです。これが、遠く離れた紛争地に対して今すぐ私たちができることです。

大学での研究や高校の探究学習について一言

 国際関係学に限らず、明確な答えのない社会科学分野では、学部生レベルでも難しい課題が少なくありません。そんな時は「Why?」ではなく「How?」と問いを変えてみてはどうでしょうか。過程を問う問いに変えることでハードルはずいぶん下がると思います。

1年次から専門を英語で学べる。国際関係学部の学びと2025年度からのカリキュラム改革

 国際関係学は、政治・経済、法、社会、文化や歴史など、多角的なアプローチが必要な学際的な学問です。グローバルな課題は様々な要素が複雑に絡み合っています。国際関係学では、その複雑な要素を解きほぐしながら、同時に得られた知見を結びつけ、課題の全体像を理解しようとします。

 私たちの学部では、1年次に国際関係学の基礎を広く学び、全員が「海外フィールド・リサーチ」という3週間の海外での現地調査を行います。そこで得た現場感覚をもとに、2年次から「政治」「経済」「共生」の3つのコースに分かれ専門性を高めます。コースに分かれても所属コース以外の講義科目を一定数履修しますので、専門分野を絞りつつ同時に多角的な視点を鍛えることができます。

 2025年度からは一部カリキュラムを改編します。1年次と2年次の学部必修の英語を国際関係英語とし、専門の基礎的概念や理論だけでなく、データ分析、ディベート、プレゼンテーションなどの実践的なスキルも全て英語で習得しかつ発信できるようにします。集大成として、3年次ではグローバルな課題に対する解決策を考察し、英語でのプレゼンテーション・ディベート大会を行います。

京都産業大学国際関係学部教授

クロス 京子先生

1971年兵庫県西脇市生まれ。京都外国語大学外国語学部英米学科卒業。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程修了。修士(国際公共政策)。神戸大学大学院法研究科博士課程後期課程修了。博士(政治学)。現在、京都産業大学国際関係学部教授。兵庫県立西脇高等学校出身。

 

大学ジャーナルオンライン編集部

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