図表現の重要性
「読解範囲を特定しなければならないと言っても、世間は図表現が与える影響を重要視していないと感じます。あくまでも挿絵というような立ち位置で、紙面の見栄えを良くしたり、本文を補助したりするものだと認識しているメディアが多いようです」。図表現は「抽象的な情報をそのままでは表現できない」という特性があり、これは「特定性の要求」と呼ばれている。情報が足りない中で図を書くと、恣意的な情報が入ってくることとなり、それを受け手は様々に解釈する。この負のスパイラルをメディアは軽視していると下嶋教授は指摘する。
「軽視するどころか、意図的にミスリードを誘う広告も多いですね。立体的な棒グラフを書いて、それを遠近法で配置するデザイン。これには物の遠近と数の大小という2種類のエンコーディングが使われているので、この広告を見る受け手は混乱し、変化が少なく、大きくもない数値でも遠近法の効果で大した情報のように感じてしまうんです」。
下嶋教授のゼミではこのような受け手の反応を研究する認知心理学の分野も扱う。実験協力者に図を見せて、図の有無による内容理解の差や、視線計測からどのような表現がもっとも効果的かといったことを研究するのが「心理学的アプローチ」である。下嶋教授自身が取り組むのは、その前段階の「意味論的アプローチ」だ。エンコーディングから図の機能を仮説立て、必要な情報を提示すれば、図の特性である「結論を導く」という正しい形式に行きつく。ビッグデータに保存された様々な情報を数学的に厳密に処理し、正しい変換=エンコーディングで図に表す。図の形になったものが実際に受け手にどのように解釈されるかを観察するのは心理学的アプローチの領域とされている。ゼミでは所属する学生の興味関心によってアプローチの方向性が分かれるが、それぞれが相互に補完することで更なる研究の展開が期待できる。
効果的な図表現のために
これまで下嶋教授が紹介してきた様々なケースからもわかるように、図を効果的に用いるためには、まずそのエンコーディングが何であるかを明示することが重要だといえる。特に教育の場では、生徒が図を理解できるように図の読み取り方や使い方を教えることが求められる。しかし現状として、エンコーディングの種類や機能についての確立したマニュアルというものは完成しておらず、欧米でもやや進んでいるという程度だ。
「近い将来、図表現をうまく使う方法がシステマティックに学校教育に導入できるようになればいいと思います。図を書くことによって理解が深まり、学力が上がるという報告も出ています。文字情報から想像力をはたらかせるのが苦手な子どももいますから、そういった子どもには教師が図で示すだけでずっと分かりやすくなる」。図は「未来に対するポジティブなポテンシャル」を持っていると下嶋教授は語る。
文化情報学部の役割とその広がり
同志社大学文化情報学部は、現代社会における文化の意味や重要性を正確に把握し、それを広く発信することを目的とする文理融合型の学部である。ここでの「文化」という言葉は、娯楽や芸術に限らず、人間の価値観や信念、行動パターンなど、より広い範囲のものを指すと下嶋教授は考える。文化情報学部が捉える文化の定義には、いくつかの特性が含まれている。一つは「反復性」であり、これはたとえば、思想や価値観が一人の人間にとどまらず、他の人々にも繰り返し現れうることを意味する。次に「継承性」、これはある文化が次の世代に伝わるという性質のことだ。さらに「選択性」も重要な要素であり、文化が必ずしも従うべきものではなく、時に選択されるものだという観点が強調される。
下嶋教授の研究テーマ「図表現を使った説明」も文化のひとつだ。無数の情報を整理し、理解を深めるための手段であり、文化としての反復性や継承性、選択性を持っている。「我々の研究がどのように社会に貢献できるかを考え、今後さらに情報を整理し、体系的に発信していく重要性を再認識しています。」と下嶋教授は語る。
図表現の研究には、歴史やメディア研究などの他分野も大きく関わっている。古代の壁画に始まり、人類は長い間、視覚的な手法を用いて情報を伝え続けてきた。こうした歴史的な背景を考慮すると、図がどのように進化し、どのような種類が存在しているのかを探ることは、現代のメディアにおける図の使用を理解する上でも重要といえる。現在、新聞や教科書、オンラインメディアなど、さまざまな場所で図が使用されている。このような図が果たす役割やその影響を調査することは、私たちのメディアリテラシーの向上にも繋がるだろう。また、図表現の研究はエンコーディングがもつ機能を論理的に解説し、正確な「見せ方」を考えるというデザインの側面も併せ持つ。そういった場面では下嶋教授ら研究者がデザインからエンコーディングを考察することもあれば、デザイナーから論理的フィードバックを求められることもある。
このような他分野・多文化との交差が、図による説明が持つ真の機能を明らかにする手助けとなるだろう。不完全で不明瞭な情報のまま出された恐竜の図は、今ではステレオタイプなものとして映画などに登場するまでになった。技術の進歩による新しい発見があるにもかかわらず、典型的なティラノサウルスの姿に私たちが親しみを覚えるのは、それがすでに「反復性」「継承性」「選択性」をもった文化になったからである。図がもつ影響力を論理的に理解しながら、人間の心理の作用を哲学的に楽しむ。文化情報学部の研究は人間がもつある種の矛盾のすべてを受け入れる、真の意味で包括的な学びなのだと感じた。
同志社大学 文化情報学部 視覚表現研究室
下嶋 篤教授
1988年同志社大学文学研究科哲学専攻修士課程修了後、フルブライト奨学生として1990年に渡米。インディアナ大学視覚推論研究所に所属し、1996年には同大学哲学科博士課程修了。ATR知能映像通信研究所奨励研究員、北陸先端科学技術大学院大学助教授を経て2005年から同志社大学へ。2012~14年、米国・スタンフォード大学客員研究員。専門領域は認知哲学、論理学。
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