大学はどう変わったか

 人間の能力や学力について着実で実証的な研究が進められてきたアメリカでも、大学自体の改革は遅れました。主要大学の多くが、アクティブラーニングの導入など、教育改革に取り組み始めたのは1990年頃からです。大学のユニバーサル化(universal access)によって、学部教育が高等教育(higher education)というより、ポストセカンダリーエデュケーション(post secondary education:中等後教育)であるとされ、研究よりも教育に重点を置くべきだとされるようになってからです。日本は当時、バブル経済の崩壊を経験するも、教育においてはまだまだ自信に溢れていました。優位を誇っていた初等中等教育においては、ゆとり教育が猛威をふるい、大学改革も遅れました。

 そんな日本を揺るがせたのが、2003年のPISAショック。2000年から始まるこの調査の第2回目、日本の学力水準が思いのほか低いことが広く認識されたのです。じつは第1回目も悪かったのですが、マスコミも見過ごしていました。この調査はいわゆるPISA型学力、思考力、読解力をはじめ、知識の活用や課題解決力を問うもので、日本はそれまで改革を怠ってきたツケが露呈しました。PISAのように活用力が問われないTIMSS(国際教育到達度評価学会による国際数学・理科教育動向調査)ではまだ優位を保っていましたが、それも1980年代に比較すると大きく下がっている。この辺りからゆとり批判が表面化し現在に至っているのは、みなさんよくご存知だと思います。

 国立教育研究所を出たあと、5年間だけ日本女子大に居て、それから大阪大学へと、関西に移ったのですが、この間も文部省の委員を毎年いくつもやっていました。年代初頭、ゆとり教育批判をしているということで当時の文部省幹部から私はパージを受け、一時文部行政と無縁になりましたが、年に京都大学に呼ばれ、大学教育の実践的研究・開発を目的とする高等教育支援システム開発センター(現在の高等教育研究開発推進センター)を立ち上げ、1998年には同センター長も務めました。このセンターがモデルとしたのはスタンフォード大学にあるデレック・ボックセンターです。日本の大学には抵抗感の強かったFD(Faculty Development:教員の教育研修)※5やアクティブラーニングなどの教授法の他、大学の教育課程や評価システムについての研究・開発も行うというものでした。もっとも京都大学が、そして日本の大学全体が本気で教育改革に取り組むようになるのは2000年代に入ってしばらくしてからです。

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大学ジャーナルオンライン編集部

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