迅速な初動と組織的な復旧活動
10月12日は、台風が通り過ぎるのを待つための休校日であったが、キャンパス内では少人数のスタッフにより応急措置が進められた。事前に講じていた浸水対策の土嚢をさらに増やすなどして対応に当たったが、増水の勢いには追い付かず、復旧作業は結局、翌朝を待つことになった。
同大を運営する学校法人五島育英会は、東急グループ創業者の五島慶太翁の名に由来するもので、東京都市大学は東急グループの一員でもある。武蔵工業大学から名称変更したのは2009年で、同一学校法人内にあった東横学園女子短期大学を統合したことに起因する。いまでは保育系の学科も擁した大学であるが、現在でも理工系が屋台骨になっている。同大と東急グループ各社は、教育・研究面でも普段から協力関係にあるが、翌日には東急建設による手配でポンプ車が3台駆けつけ、一斉に排水を開始した。復旧作業のためのクレーン車や停電時のための自家発電機、仮設照明器具もいち早く届けられた。こうした初動対応の速さは企業グループという特性ならではとも言えるだろう。
また、被害の状況から判断して、当面の休校と、安全面からの立入禁止を決定するが、同大の等々力キャンパスと横浜キャンパスでは通常どおりの授業を行うこととし、これらはホームページ等を通じて学生に周知された。
13日日曜日は初期対応とともに復旧計画の組み立てを行い、祝日だった14日月曜日には教職員総出の復旧作業が始まった。ポンプ車では対応できない床下に残る水は、床板をはずし手作業で吸い取る。近年のオフィスや教室はOAフロアになっているのが一般的であるが、底上げされた床下に溜まった水を抜くのは人海戦術でないと難しい作業でもある。教職員は何日もこの作業にあたり、水が完全に引いた後も什器備品の洗浄、消毒などが続いた。
並行して学ぶ機会の確保も検討が進んだ。通常授業の行われている他キャンパスの活用もさることながら、近隣の大学からの申し出や、協定を結んでいる世田谷区内の6大学間連携により、通学圏内で複数の図書館利用が可能になった。給水車や発電機などを貸し出してくれた企業もあり、こうした学外からの支援も大きな力となり、約2週間後の28日には、世田谷キャンパスでの授業が再開されるに至る。授業再開の直前の頃には危険な作業もなくなってきたことから学生団体である体育会からのボランティア参加希望を受け入れ、自らの大学の復旧に加勢したいという若いパワーも大きな応援になった。この間、10月19日には延期したAO入試を、被害のなかった棟で予定通り実施したが、同日に予定していた創立90周年記念式典は中止としている。
また、17日には、キャンパスや周辺地区の浸水災害に立ち向かうべく、三木千壽学長の命を受けた都市工学科を中心とする教員と学生が動き出した。「都市研究を全学の共通テーマに掲げる大学である以上、地域との連携・貢献も含めてわれわれが対応する必要がある」と考えた大学と都市工学科は、まず「浸水の形跡、記憶が消える前に」と被害調査と情報収集をスタートさせる。19日のテレビのニュース番組で取材を受けた女子学生は、「大学周辺の聞き取りをした。中には浸水が1m以上のところもあった」とヘルメット姿で緊張の面持ちで答えた。男子学生の一人は「こんな災害が身近に起こるとは想像もしていなかった。今後、これを機に対策を練りたい」と気を引き締めた。同学科主任教授の末政直晃教授は、「今回起きた大学の被害は残念なことだが、温暖化を考えると、これは決して最後ではなく、〈始まり〉なのかもしれない。大学を含め、あたり一帯の防災について対策を練ることは急務。そのためのデータ収集に、学生を巻き込んで学科全体で取り組みたい」と答えた。