―― 気候変動と飢餓の関係について研究しようと思ったきっかけは?
藤森氏:
私が国立環境研究所にいた2013年頃は、食料安全保障と気候変動との関係でまず頭に浮かぶのは、気候変動で農作物が取れなくなるはずだということでした。ちょうどその頃、温室効果ガスの排出を削減する際、場合によっては大量のバイオエネルギーが必要なモデルが出てきました。当時、バイオエネルギーの主な原料は、サトウキビ(主にブラジル)やトウモロコシ(主に米国)でした。さらに、食用にならないエネルギー用途だけの植物をたくさん作ればエネルギー生産が高まるという主張も出てきました。そして2015年に採択されたパリ協定では、気温を+2℃以下に抑えることが長期的な気候目標とされましたが、その実現にはバイオエネルギーの利用で排出されるCO2を取り出して地中に埋める、つまり負の排出にすることが相応に必要であることが2014年に公表されたIPCCの第5次報告書で当時わかっていました。ただし、それまでのモデル研究では、こうした温暖化対策は食料生産に影響を与えない、と仮定されていました。しかし、バイオエネルギーがもうかるなら経済合理的にはどんどん作るだろうし、そうなれば食料市場は必ず影響を受けるはずであり、1番深刻な問題は飢餓だろうと思いました。ところが、その頃はまだ誰もそういうことに言及しておらず、これはひょっとすると大きな問題になるかもしれないと目を付けたのがはじまりです。
―― 急激な変化は、社会的な弱者にしわ寄せがいくおそれがあると、東大教授の沖大幹さんも話していました。
藤森氏:
はい、急激な変化はもちろん大きな要因になります。が、もう1つ大事なのが政策の設計です。貧困層をケアせず、とにかく気候目標の達成のために1番効率の良いやり方だけを追求して突き進むと、負の影響が生じる可能性が十分にあります。だから、貧困層のことを考慮して悪影響を及ぼさないように物事を進めていくことが大切なのです。昨年、我々はNature Climate Change に論文を発表し、変なやり方の気候変動対策は悪影響が出るので、政策設計には細心の注意が必要であると強く主張しました。警告という形で世に問うたのです。
―― こういうモデリングでは、本当にそうなのかという指摘がつきまといます。だからこそ今回、6つの異なるシミュレーション、複数のパラメーターという検証で、同じような結果が得られたことが大きなポイントだと思いました。
藤森氏:
まさにその通りです。実は2013年から14年にかけ、我々はすでに、単純な温暖化対策は意図しない悪影響を起こすことをモデルシミュレーションで確認していました。何かあると確信し、2015年、我々のモデルだけを使った論文を、この分野のトップジャーナルの1つ、Global Environmental Change に投稿しました。が、反応はよくなく、結局最終的には少しハードルの低いジャーナルへの掲載となりました3。こうした経緯があるので、今度は世界の同業者たちみんなでやろうよと提案し、まず昨年Nature Climate Change で警告を発し、今回の論文でその警告に対してこんな解決策もあるよと提示しました。世界の複数の研究機関が取り組んで、頑健な結果を得られ、似たような結論を出せたのは良かったです。我々としては1つずつステップアップして、ようやくここまで来た感じで感慨深く思います。
―― 飢餓を防ぐための政策はどう考えていますか?
藤森氏:
飢餓は、単純にお金を配ったら何とかなるとか、食料援助をこれだけしたら済むという話ではありません。だから仮想的に計算して、このくらいのコストで解決できる可能性がある、という感覚で論文を書きました。具体的というよりはシンボリックな形で出しています。エネルギーシステムを変えるなどの気候変動対策では莫大なお金が必要ですが、それに比べたら、論文で提示した金額はその100分の1とか、ちっぽけなものだということを言いたかったのです。
温暖化対策に対して懐疑的な人たちの中には、何の根拠もなく、変な温暖化対策すると悪い影響が出るからやらない方がいい、今のシステムを急激に変えない方がいいという人がいます。でもよく考えてきちんと対処すれば、そんなにお金をかけなくても何とかなるのではないかと言っているのです。実際、査読の時も、貧困や飢餓はこんなグローバルなシミュレーションでビシッとできるものではない、と指摘を受けました。それぞれの現場にそれぞれの問題があって、ガバナンスの問題や国の事情によって全く違うことが起こるので、こんなのはリアリティをつかんでいないという反論は常にあります。我々もそれは百も承知で、本当にこの問題を解決するには個別の対策が必要だと思っています。ただそういう個別の対策が、どれくらい、どういうところで、どんなものが必要なのかという課題はその分野の専門家たちに任せ、我々は、グローバルにどのくらいのことが起こり得るのか、それが深刻な問題なのかそうではないのか、マクロな全体像をつかんでもらいたいと思って、費用概算という形で提示したのです。
本当に貧困を救うには、きちんとした教育システムや社会インフラが必要で、目には見えない信頼を築くことが大切です。単に技術移転してもうまくはいかないし、食料支援をしても北朝鮮のように必要なところに届かないことはよくあることです。
長谷川氏:
論文で1番に言いたかったのは、温暖化対策によって飢餓が増えてしまうことは分かっているけど、それを言い訳に温暖化対策をしないのはやめて、ということです。飢餓を減らすには、ちょっとの追加的費用で何とかなることを示すのが目的です。
―― 今は持続可能な開発目標(SDGs)が絡んできています。
長谷川氏:
ちょうどNature Sustainability に受理された次の論文4では、SDGs2の飢餓撲滅について言及しています。実際に飢餓撲滅だけを考えると、農業を通じて環境や気候に悪影響を及ぼしてしまいます。食料を増やそうとすれば、農業活動自体が増えて温暖化に貢献してしまうのです。温室効果ガス全体の排出量の16%を占めるメタンのほとんどは、農業由来、主に牛の反すうと水田からの排出です。食料増産と温室効果ガス排出のバランスを取りながらどうやって飢餓を撲滅していくのか。悪影響を起こさずに飢餓を撲滅するにはどうしたらいいか。論文では、食品ロスの削減や過剰カロリー摂取の対策も合わせて考えて食料の均衡分配をすれば、食料生産を大きく増やさなくても飢餓撲滅に必要な食料を賄うことができると提案しています。今までは気候変動のことだけを考えていればよかったのですが、これからはSDGsも考えていかなくてはなりません。最近の研究では、気候変動と飢餓、食料関係、あるいは水などの要因を考え、1番いい持続可能な道を探っていくことが主流になっています。その1つが今回の論文かなと思っています。
藤森氏:
SDGsは我々の研究にたいへん大きな影響を与えました。我々は基本、気候変動屋ですが、視点が広がりました。気候変動は、SDGs2の飢餓、SDGs3の健康、SDGs6の水問題、SDGs7のエネルギー、SDGs8の経済、さらに生態系のSDGs14、15とも関係しています。実際この5年で、相互関係、シナジー、トレードオフがどうなっているのかをシミュレーションして理解を深めていくことが研究分野のトレンドの1つになってきています。
長谷川氏:
今は、1つの指標では足りなくて、複数の指標で見ていくことが求められているのです。
―― シミュレーションが複雑になってきましたね。
長谷川氏:
モデルだけでなく、シナリオも複雑になってきました。Aを対策した場合しなかった場合、Bを対策した場合しなかった場合など、バリエーションの数が増えてきましたから。
藤森氏:
我々は統合評価モデルを使っていますが、その名の通り、いろんな要素を入れて評価します。ですからSDGsは、難しい面もあるけど新しい分野が広がる良い課題だと思っています。
―― SDGsはいろいろな問題をなくすことを目標にしているので、とても大変だと思います。
長谷川氏:
確かに飢餓は難しそうですね。国の体制とか対策以外に紛争も大きな要因です。実は、飢餓はこれまでずっと下がってきたのに、2016年以降上昇しているんです。その原因が紛争だというのがFAOのレポートに出ていました。
藤森氏:
最近のNature にも出ていました5が、紛争も気候変動の影響が大きいのではという論文がぽろぽろ出てきています。シリアは、その影響があるといわれています。自然環境の厳しい地域では、紛争の手前まで環境からのストレスがかかっている状況にあると、ちょっとした圧力で紛争状態に陥ってしまうのです。
- 1
- 2