獣医師養成133年という長い歴史を持つ麻布大学は、2024年4月、「生命を看つめ、生命を護る(いのちをみつめ、いのちをまもる)」をモットーに、獣医学部に愛玩動物看護師(国家資格)を養成する獣医保健看護学科※の新設を予定している。愛玩動物看護師は2022年5月1日施行の愛玩動物看護師法によって制定された新たな国家資格で、今年3月には第1回国家試験に合格した初の有資格者が誕生した。
麻布大学はこれまで、獣医学科卒業生が約1万7千人、国内最多の臨床獣医師を輩出している。その実績が裏付ける高度な教育・研究力を基に、「高い倫理観を持ち、獣医保健看護学におけるリテラシー(知識や能力の活用力)とコンピテンシー(優秀な人材に供えられた行動特性)を兼ね備え、人と動物の共生社会に貢献する」愛玩動物看護師養成を目指す。
新学科開設の目的とその意義
1890年に創設された東京獣医講習所をルーツとする麻布大学は、「学理の討究と誠実なる実践」という建学の精神にのっとり「人と動物との共存及び人と自然環境との調和の途を探求すること」を目的に教育と学術研究を展開、獣医系大学として最多の研究室を有する。獣医臨床センターの地下1階から地上2階を占める附属動物病院は、国内トップクラスの規模を有し、年間約1万2千症例の診療を行うとともに、学生が臨床の現場に立ち会い、獣医療技術を学ぶ教育施設としても機能している。今年は動物病院と研究室、実習室などからなる獣医臨床センターの改築工事が予定されており、来春の新学科開設までには施設の規模と機能を拡張・充実させることとしている。【下図】
獣医療チームの要となる愛玩動物看護師を養成する新学科に大きな期待をよせる川上泰学長は、開設の目的を、「本学が掲げる“地球共生系~人と動物と環境の共生をめざして”という理念に沿って、獣医療の発展とそれを介した人間社会の健康と福祉、生活の質の充実に貢献する」ためとする。そして「獣医学・畜産学・動物科学の分野で活躍する人材を養成してきた大学として、獣医療分野で重要となる愛玩動物看護師の養成は、本学の発展のみならず質の高い獣医師の養成やペット産業の永続的な発展に貢献するはず」と力をこめる。さらに「本学にある附属動物病院や高度な設備環境、充実した学習環境で教育研究を行うことにより、社会の求めるリテラシー、コンピテンシーを備えた愛玩動物看護師を育てたい」との意気込みを示す。
新学科の特徴の一つ、獣医師養成と同じ環境で学び、チーム獣医療の礎を築く
新学科の特徴について、同学科で講師に就任予定(現 動物応用科学科 講師)の久世明香(さやか)先生の挙げるキーワードは、《獣医学科と共に》。これは、獣医学科と同様の最先端の設備と充実した教育体制の中で学ぶことで、チーム獣医療を体感することを意味する。愛玩動物看護師として活躍する上で、自身の役割の理解と獣医師や動物病院スタッフとの協力は欠かせない。
そのため、獣医学科で行われている保護動物の避妊去勢手術の実習にあわせて、獣医保健看護学科(仮称)の学生が動物の入院管理を担うなど、同じ環境で実習を行う計画としている。また、4年次の病院実習は、附属動物病院だけでなく、公益社団法人日本動物病院協会(JAHA)と包括協定を結び、同協会に加盟する全国の動物病院でも行う予定だ。
もう一つの特徴は、教養科目をしっかり学べる体制を整えていること。教養科目は専門科目を理解する上での基礎となり、暗記した知識に頼るだけではなく、応用力や問題解決能力を備えた専門職を育てるのにも欠かせない。また、基礎教育科目として設けられた「生物学入門」「化学入門」などでは、初年次教育・リメディアル教育を担当する教育推進センターで個別相談や補習などを行い、高校時代に生物・化学を履修しなかった学生も、専門科目の授業についていけるよう支援する。
「教養教育に加えて、協調性やコミュニケーション能力の養成も重視したい」と久世先生。「臨床現場において、チーム獣医療を実践する上でも、飼い主との関係構築のためにも、コミュニケーションはとても重要。相手の立場に立ち、相手に伝わるように説明できるようになるため、コミュニケーションの科目に限らず、さまざまな科目の中でグループワークを重視し、ディスカッションやプレゼンテーションなどの機会をできるだけ設けたい」とも。
また、コミュニケーションは、人間だけではなく「動物との間にも必要」とし、「本来、動物にとって、病院は苦手な場所。動物の行動学や適正飼養学を通じて、動物の気持ちを理解し、動物が診察を受け入れやすくなるための工夫も身につけてもらいたい」と語る。
植竹勝治獣医学部長からは、「看護師教育のキーワードのひとつは“アドボカシー”(弱い立場にある動物の生命や権利、利益を擁護して代弁すること)で、獣医療チームの一員として、痛みや感情を伝えられない動物や飼い主の代弁者となる専門性と人間性を兼ね備えた人材の養成を目指したい」と、意気込みを聞いた。
獣医系大学最多の研究室で、学科を超えて専門分野を学ぶ
麻布大学では、3年次から研究室に所属し、興味のある専門分野について研究活動を行う。そこは知識を深めたり、特殊な技術を修得するだけでなく、論理的思考・主体性・チームワークを身につける場ともなる。また、希望があれば、獣医学部にある他学科(獣医学科および動物応用科学科)の研究室に所属することができるため、動物と人の関係性、産業動物、野生動物など、愛玩動物の看護を超えた分野についても学ぶことができる。
他大学にはない特色ある教育「麻布出る杭プログラム」があるのも、麻布大学を選ぶ大きなメリットだ。これは、文部科学省の「出る杭を引き出す教育プログラム」で麻布大学が全国の大学の中で唯一採択されたもので、伴侶動物(犬や猫)や野生動物、生態系、SDGs、植物などをテーマに約30の研究プロジェクトが全学的に展開されている。学部・学科を超えて応募でき、1年次後期から参加できるが、多様な分野から専門分野を選択し、早くから知識や技術を修得できると好評で、文部科学省の中間評価でも最高評価「S」を受けている。
万全の就職支援、卒業生の獣医師ネットワークが大きな力に
新学科では4年次に愛玩動物看護師国家試験を受験し、合格すれば資格が得られる予定だ。卒業後は、ほとんどが愛玩動物看護師として動物病院などに就職することになるだろう。その際に強みとなるのが獣医学科卒業生のネットワーク。麻布大学はこれまでに輩出してきた臨床獣医師数が国内No.1であり、全国の動物病院や動物関連施設で多くの卒業生が働いている。大学としては、これら卒業生のネットワークや公益社団法人日本動物病院協会(JAHA)との密接な関係などを活用することで、着実に動物病院に就職し活躍できるよう支援する計画だ。
動物病院以外の就職先としては、地方自治体に設置が義務づけられる動物愛護管理担当職員(一般市町村は努力義務)、ペットショップなどの第一種動物取扱業とされる事業所に配置が義務付けられている動物取扱責任者や動物の栄養管理指導者などへの道が開かれている。このほか、適正飼養のための工夫に取り組む動物園や水族館なども就職先として考えられるなど、愛玩動物看護師としての知識や技術を生かせる分野は多い。
久世先生は「飼い主もペットも高齢化によって飼育が困難となり、動物の世話が必要なケースが増えている。また、ペットを同伴できるホテルや、ペットの飼える高齢者施設が増えることで、動物のいる環境が広がるとともに愛玩動物看護師として活躍の場も広がる」とする。新学科では、学生に広い視野を持ってもらうためキャリア形成科目を多く組み入れており、動物病院以外の就職も含め、自分に合ったキャリアを見つけられる指導体制を整えている。また、2人の教員がクラス担任となり学生の相談に応じるほか、専門の就職支援アドバイザーを置くなど、学生支援体制を充実させるとしている。
「動物が好き、人も好き」だけでなく「広い学びと実践力を身につけたい」人、求む
では、どのような人が愛玩動物看護師に向いているのか。久世先生は、「まず動物が好きな人」と述べた後、すぐに「ヒトとのコミュニケーションも求められるため人も好きであってほしい。1対1で向き合うだけでなく、社会全体の中での人と動物の共生も意識できる人はさらに歓迎したい」と語る。
「地球共生系~人と動物と環境の共生をめざして~」という教育理念の下、人と動物の健康とそれを取り囲む生態系や社会に貢献する人材を育成する麻布大学。川上学長によれば「リテラシーとコンピテンシーを兼ね備えた人材養成」ということになるが、それを実現するために全学共通科目に置かれているのが「地球共生論」と「地球共生系データサイエンスプログラム」。
1年次に置かれる「地球共生論」は、麻布大学の建学の精神や歴史に始まり、全学科の教員がオムニバス形式でそれぞれの教育に対する思いや内容を伝えるもので、「麻布大学概論」であるとともに、人と動物との共生について深く考える姿勢を身につけるものとなっている。「地球共生系データサイエンスプログラム」は、1年前期に必修の『基礎プログラム』と2年次通年で選択の『発展プログラム』の2段階からなり、数理・データサイエンス・AIへの関心を高め、各専門分野における課題をデータに基づいて適切に判断し、解決に導ける人材の育成を目指す。
新学科を志望するにあたっては、「国家試験の受験資格取得だけでなく、知識を活用して問題解決を追求するというように、広い学びと実践力を身につけること も目標にして欲しい」と久世先生。麻布大学獣医学部獣医保健看護学科(仮称)は、発展し変化し続ける共生社会を切り拓きたいという意欲に満ちた入学者を待って、来年4月に開設される予定だ。
愛玩動物看護師とは
診療の補助や愛玩動物(ペット)の看護にとどまらず、愛玩動物の飼い主などへの愛護・適正飼養に関する助言などを行う専門職で、特に輸液剤の注射や採血、マイクロチップの装着、カテーテル留置、投薬など、獣医師の指示の下に診療の補助業務が行える独占業務(獣医師を除く)である。これまで獣医師だけが行ってきた医療行為のうち、衛生上の危害が生じるおそれは少ないと認められる行為を、その指示の下で行える。ちなみに愛玩動物とは、犬や猫および政令で定める動物と法に規定されており、犬・猫のほかは愛玩動物看護師法施行令で愛玩鳥(オウム科全種、カエデチョウ科全種、アトリ科全種)と定められている。
また、動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)ではペットショップやブリーダー、トリミングサロン、ドッグトレーナーなど、第一種動物取扱業を行う事業所には動物取扱責任者を置くことが義務づけられており、動物取扱責任者になるには「一定期間以上の実務経験または飼養に従事した経験」と、「専門知識を学ぶ学校の卒業資格または所定の民間資格」の双方が必要とされる。しかし愛玩動物看護師は獣医師同様、その資格だけで動物取扱責任者になることができる。
2019年には、動物の福祉が守られる社会を目指して改正された動物愛護管理法では、出生後56日を経過しない子犬や子猫のペット販売の原則禁止や、動物虐待に対する厳罰化、都道府県・政令指定都市・中核都市に動物愛護管理担当職員を置くことなどが決められた。昨年4月からは、犬猫等販売業者に犬・猫へのマイクロチップ装着義務が課されるようになるなど、人と動物の共生社会の発展という流れが加速する中、それを背景に設けられた国家資格と言うことができる。
麻布大学 学長
川上 泰 先生
麻布大学環境保健学部を1988年3月に卒業後、4月から同学部助手、講師、2008年からは現在の生命・環境科学部の准教授、教授を経て、2021年11月に学長に就任し獣医保健看護学科の設置に向けて舵を切った。大学では寄生虫や衛生動物を対象とした研究に従事して35年。2000年〜2002年にワシントン大学に留学し、生化学的な実験手技や技術を学んだ。何事にも怯むこと無く取り組んでいくことをモットーにしている。趣味は愛犬と遊ぶことである。青森県立弘前高等学校出身。
麻布大学 講師
久世 明香 先生
神奈川県出身。東京大学農学部獣医学専修卒業後、同大学大学院農学生命科学研究科博士課程(獣医動物行動学研究室)に進学し、『盲導犬における早期適性予測に関する行動遺伝学的研究』で獣医学博士号を取得。大学院時代より、イヌ・ネコの問題行動に関する行動遺伝学的研究や問題行動の治療に携わり、獣医行動診療科認定医を取得。東京大学大学院農学生命科学研究科特任助教(獣医動物行動学研究室)、一般動物病院勤務医、東京大学附属動物医療センター特任助教を経て、2018年4月より現職。桐蔭学園高等学校出身。