大学・高専機能強化支援事業が採択されて芸術工学部の設置構想などが話題になっている昭和音楽大学。実践を積み重ねて巣立った卒業生たちは、演奏家や音楽教師、プロデューサーなどさまざまな形で活躍している。新たなコースや学部の設置にも積極的な姿勢を見せており、進路の幅はさらに広がっていきそうだ。昭和音楽大学の教育方針やこれからの展望について、下八川公祐副理事長にうかがった。
今回お話をうかがった下八川公祐副理事長。日本でもトップクラスの設備と機能を誇る劇場「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」での1枚。
声楽の教育から始まる
昭和音楽大学の設立は1969年であるが、その起源は1930年に下八川圭祐氏が創立した声楽研究所まで遡る。「声楽にルーツを持つことはとても幸運だと思います。新しいことに取り組む時にも、常に声楽のあり様を意識します。」と、圭祐氏の孫でもある下八川公祐副理事長は振り返った。
「歌を歌うことは、人の心に最も近い営みではないでしょうか。この営みがあるからこそ、自然と教育の幅を広げられました。私は音楽を学ぶための角度は多様であってよいと考えていますし、本学の先生方も音楽を広くとらえている方が多いです。今後も社会の変化を捉え、学生さんとのコミュニケーションをとりながら、我々の歩みを持ちたいと思います。」
大学では22コース、そして短大では13コースが生み出されてきた。クラシック音楽はもちろん、ロック、ミュージカル、サウンドプロデュースなど、多様なジャンルを扱っている。カリキュラムを検討する際は、基礎的な技術が身につく授業のほか、卒業後にキャリアを築くときに欠かせない内容を盛り込んでいるそうだ。
2024年度からは「声とことばの創造表現コース」が新設された。声楽教育で培ってきたノウハウを活かし、声やことばの表現に必要な能力を伸ばしていく。卒業後に想定している進路は歌手、ミュージカル俳優、声優、ラジオパーソナリティーなど。これまで以上に幅広い分野に人材を輩出していく。「ほとんどの歌には歌詞があります。そして、ドラマやストーリーを生み出していくことになる。したがって、「ことば」についての学びが我々とって非常に大切であると考えていました。」
同コースで培った力は様々な分野において活かすことができる、と下八川副理事長は語る。それは先生方が声優やアナウンサーなど、音楽だけに留まらない活躍をしてきた実績があるからだという。
「社会では『この人の声はこの仕事に合いそうだ』といった、「声のマーケティング」のようなことはすでに行われています。最初に志望していた表現のジャンルとは違う場所で活躍される方も多くいらっしゃいます。声とことばの創造表現コースでは、こうした自然なキャリアの形成を前提として、幅広い領域を視野に入れた総合的な表現を教えていきます。」
創立者である下八川圭祐氏の銅像。自らもバス・バリトン歌手として活躍しながら、後進の育成のために声楽研究所を設立した。
技術の習得そのものがリベラルアーツ
昭和音楽大学の建学の精神は「礼・節・技の人間教育」。音楽の専門性を高めることはもちろん、礼儀、節度、技術・技能を身につけさせようと力を入れている。下八川副理事長は建学の精神に、「“個”ではなく“技”が入っている点におもしろさを感じた」という。
「芸術を志す人は、個性の表現を大切にしている方も多いですし、大切なことであると思います。一方で私は、技術をしっかりと身につけて、それをもとに表現活動をすることが重要だと感じています。想いや情念、個性を強く出すのも大切だとは思いますが、しっかりとした技術が土台にあって初めて表現できることに気がつくことがあります。また、そのことによって表現のアイデアに恵まれますし、それを披露してお客さんに喜んでいただく経験も得られます。そうするとさらに技術を身につけようとモチベーションが上がり、表現力も広がっていくでしょう。技術と表現には、こうした相関の関係があると思います。」
技術の習得のために、学生と教員のマンツーマンレッスンの機会も多く用意している。実技の個人指導や教員からのアドバイスを経て、学生たちは力を伸ばしてきた。さらにレッスンを通してモチベーションが上がったり、本当に勉強したい内容に気づいたりする学生も多いという。また、技術を育んでいく過程そのものも、学生にとっては大きな財産だ。
「技術を習得していく営みは、リベラルアーツと捉えられるのではないでしょうか。たとえば、事務の仕事をする際も、仕事を正確に効率よく進める能力が求められるでしょう。効率を高めるには何をすればいいのか、時間をどう使えばいいのか、といった思考は、音楽の技術を習得していく際も欠かせません。この思考や営みのあり様はリベラルアーツであり、もし卒業後にほかの技術を習得しなければならなくなったときでも役立ちます。つまり、将来を創るために必要な力でもあるのです。このように学生の将来像に思いを到すことも、音楽大学にとって重要な点だと考えています。」
音楽を通して社会に貢献するために
2027年度の芸術工学部芸術工学科設置を構想中。文部科学省の「大学・高専機能強化支援事業」に選定されており、「音楽大学に設置される文理融合の学部」としても注目を集めている。音楽と理系というと珍しい組み合わせのように思えるが、下八川副理事長のなかでは自然なつながりだったそうだ。
「私自身は、音楽は理系分野だと思っています。たとえば音楽教育に欠かせないソルフェージュという分野はとても論理的で数理的とも言えます。次にどの和音が来るのか、一定の法則を持って曲の美しさが構成されていきます。音楽に論理的な思考が求められるのは、理系教科とも共通しているといえるでしょう。」
芸術工学部では主に、コンテンツを生み出す人材を育成する予定だ。音楽に関する教育のほか、プログラミングの技術を得ることに加えて、ビジュアル表現を学ぶ。
「理屈だけで、人の役に立つユニークなコンテンツを作ることは難しいです。したがって、芸術工学部ではデジタルとフィジカルを融合させられる人材の育成を構想しています。まず必要になるのが、現代のコンテンツ制作と密接な関係にある、プログラミングの技術です。歌や楽器と同様にしっかりと技術を身につけてもらえば、表現の幅が自ずと広がり、自身の競争力も高まります。また、音楽と両輪をなすビジュアル表現についても、授業で扱う予定です。ビジュアルと音が融合することで、新たなコンテンツが生まれます。」
コンテンツを生み出せる人材の輩出は日本経済の建て直しにもつながると、下八川副理事長は考えている。日本が直面しているデジタル赤字も、コンテンツ産業の活性化によって解消することができる可能性があるそうだ。
「我々はコンテンツに関わる人材の育成が、直接的に経済市場の支えになると考えています。今や音楽を含むコンテンツ産業は、国内だけでも年間12兆円規模。これはほかの産業と比べても大きな数字です。こうした大規模な市場に寄与できる人材を輩出すれば、経済がさらに活性化すると確信しています。」
昭和音楽大学が行う社会貢献は、人材育成だけではない。研究活動にもいっそう力を入れ、社会課題の解決に寄与していく。
「我々が役に立っていけると考えていることに、孤独・孤立支援があります。令和5年に孤独・孤立対策推進法が成立したことからも、取り組む必要のある社会課題だといえます。音楽は言葉を介さずにコミュニケーションを得ることができる分野ですし、音楽がある空間に身を置くだけでもおもしろさを感じられるでしょう。本学の音楽分野の教育・研究資源を活かして、孤立の負の部分の解消に貢献できればと思っています。そのための研究支援をしっかりできるよう、準備を進めている最中です。」
他にも、短期大学部にシニア向けの「音楽と社会コース」を設置して、精神的に豊かな社会生活を送ることができる人材の輩出を行っている。さらに未就学児から大人までレッスンを受けられる「昭和音楽大学附属 音楽・バレエ教室」、音楽大学への受験を志望している高校生や中学生向けに対面やオンラインで指導を行う「Pathways(パスウェイズ)」を提供するなど、幅広い年代や地域の人々が音楽に触れる機会を創出してきた。
「実践的な取り組みとともに世の中の役に立ちたい、という想いは創立当初から持ち続けてきました。財界からの要請もあり、文部科学省は社会実装につながる研究を重視しています。芸術分野の学生や先生方は表現を磨くことを重視して、社会貢献に関する内容をあまり研究していないといったイメージがあるかもしれません。しかし本学の人々は、本人のこだわりはありつつも、『相手に喜んでもらいたい』、『感動してもらいたい』と常に考えて、実践的に課題解決に取り組んでいます。こうした温かさや人柄のよさは目に見えないものは、本学の大切な資産です。」
時代に合わせて積極的に変化する一方で、社会貢献やたしかな技術といった伝統を次世代に伝えている昭和音楽大学。今後も各方面に活動の場を広げていく。
「豊かさの創出や、経済市場の活性化に貢献できる人材を、これからも社会に輩出していくことができればと思います。卒業生の進路は千差万別で、国際コンクールで優勝する方もいれば、マネジメントの世界でコツコツとコンサートを制作している方もいます。それでも誰もが、お客様がお金を出してコンテンツを体感してくださることに対する感謝を忘れてはいません。昭和音楽大学で培った温かな気質を、これからも社会で活かしてほしいです。」
昭和音楽大学
下八川 公祐 副理事長
専修大学経済学部卒。学部生時代は正村公宏氏のゼミナール(経済政策)に所属。
1999年東成学園に入職。企画広報部門を中心に業務を行う。音楽大学が社会に積極的な役割を果たすために、サウンドプロデュースコース、ポピュラー音楽コース、音楽と社会コース等の設置、また、川崎市麻生区へのキャンパス移転を推進、博士後期課程の認可申請などに携わる。
2006年昭和音楽大学附属ピアノアートアカデミーを設置し、アカデミックな音楽教育の実現を目指す。
また、20年ほど前から韓国総合芸術学校(Kアーツ)、上海音楽芸術学校等と関係を構築し、現在の国際交流の基礎を作る。
2018年東成学園評議員就任、2020年東成学園常務理事就任、2022年より東成学園副理事長に就任する。