武内:『吉田カレッジ構想』は京大のキャンパスに世界を持ってくるということだと思いますが、私も、「勉強と行事や部活に頑張った子は自らの進路実現も諦めない」といった伝統的な学校経営の価値観を、「世界の中での日比谷」の視点で捉え直す必要があると考え始めています。
SSHや東京グローバル10で、生徒を引率して行ったハーバード・ケネディスクールでは、韓国、中国、インドからの留学生が圧倒的で、日本人は1%程度にすぎません。視野を広げ、世界に人脈を広げた彼らが自国に戻り、仕事に、研究に、行政に携わっていくことを考えると、日本の将来に強い危機感を感じます。生徒は生徒で、有名な大学の先生や学生との懇談を通して、将来の目標が明確になり、学習意欲も高まったという者が出る反面、多くは自分の未熟さを意識して、学年が上がるにつれ自己評価が下がっていきます。
しかしこれは、次の学びのステップにつながるものでもありますから、今年からはニュージーランドと韓国に姉妹校を作り、短期の交換留学も始めました。異なる価値観を持つ高校生とのつながりの中で、自らの学びについて考え、モチベーションを高めていく。まだまだ解は出ませんが、私自身も挑戦しながら、生徒たちにも挑んでいってほしいと考えています。
座談会へのメッセージ
「世界に通用する大きな器を作る」――生徒が文武二道にチャレンジする中で、主体性を育み、豊かな人間性を涵養することを目指す本校においても、近年は挑戦よりも安全・安定を志向する生徒が目に付きます。
大学受験に際しても、保護者の意向に沿ってか、浪人覚悟で挑戦する生徒の割合が少なくなってきています。もちろんこれは、大学院重点化や、就職氷河期以降の就職に強い大学志向などによって、学部段階であえてチャレンジする価値が低下していることによるのかもしれません。
ただ教師から見て、18歳段階でのチャレンジを先へ延ばすことは、いずれどこかでそれに迫られることを考えると決して好ましいことではありません。またそれが、「頑張らなくてもいい」というような風潮につながらないかとも懸念しています。インターネットの普及で、知を授ける場としての高校や大学の役割は低くなってきているのではないかとよく言われます。
しかし一方で、「面倒見の良さ」が生徒・保護者の学校選びの一つの指標になっているように、教えられること、正解を与えられることに慣れた子どもたちにとって、その役割は逆に高まっているとも言えます。また核家族化や地縁血縁の希薄化などを背景に、学校には、様々な個性の集まる場の持つ教育力も期待されるようになりました。
このことは、学問を教えることを通じて人間を作る、若者を大人にしていく場でもある大学についても言えるでしょう。特に、対話を根幹とする教育で優れた学生を育てようという京都大学のような大学には、それが強く期待されていると思います。大学入試制度改革にはこれまで、「高大接続システム改革会議」を中心に関わってきましたが、関心が各大学の個別試験へと移る中、各大学それぞれの学部が、どのように対応してくれるのか、その教育改革とあわせて見届けていきたいと思います。
また過去5回参加した本座談会については、その中から首都圏公立進学校交流会が生まれ、今はその輪が7校に拡大、校長のみならず教員・生徒の交流も始まるなど、都県を超えた公立高等学校の連携のきっかけともなったことを付記しておきます。