138億年の宇宙の歴史から見れば、人類の存在期間はわずか200万年と、一瞬のきらめきに過ぎない。しかし、この短い期間で人類は地球上で最も知的な生命として進化し、科学技術を発展させ、そして今、人工知能という新たな知的存在を生み出そうとしている。ビッグヒストリーとは、人類の歴史をビッグバンにおける宇宙の誕生から現在までの壮大な時間軸で捉える学問的アプローチである※。従来の歴史学が文書などの記録に基づいて数千年の人類文明を対象としているのに対し、ビッグヒストリーは宇宙論、物理学、化学、生物学、地質学、人類学、歴史学を統合し、より包括的な視点で歴史を理解しようとする。この観点から見た人間の存在意義とは、そして人類のこれからとはを大胆に考察してみることにする。

※イギリスの歴史学者デビット・クリスチャン(David Christian:1946年~)による『ビッグヒストリー』(2004年)が有名。

 

宇宙史の3つの時代と支配力

 ビッグヒストリーでは、宇宙の歴史は大きく3つの時代に区分できる。第一は「物理時代」(138億年前-40億年前)で、非生命物質が進化した時代。第二は「生物時代」(40億年前-200万年前)で、生命が誕生し、遺伝子による情報伝達と自然選択によって進化した時代、そして第三は「文化時代」(200万年前-現在)で、人類が誕生し、言語による情報伝達によって文化が急速に発展してきた時代である。

 これを複雑系の進化という観点から見ると、宇宙は常により複雑な系を生み出す方向に進化してきた。クオークから核子、原子核、原子、分子、細胞、生物、そして人間や社会へと、より高次の複雑系が創発してきた。

 この進化を可能にした要因には二つの重要な物理的条件がある。一つは構成要素間に働く引力の存在であり、もう一つは宇宙の温度低下である。

 引力は構成要素を引き付けて、より複雑なものを作る。逆に斥力には、構成要素を引き離し一様化を促す傾向があり、その影響下では複雑なものは形成されない。宇宙には物理学的な力として、強い力、弱い力、電磁気力、重力という4種類の力があるが、物理時代に支配的な力は、強い力、電磁気力、重力である。強い力はクオークから核子を作る。また核子を集めて原子核を作る。電磁気力は原子核と電子を結合させて原子を作る。さらに原子がたがいに電磁気力で引き合って分子ができる。生物時代に重要な力は原子同士を結合させる化学結合力であるが、これは基本的には電磁気力である。

 ここで少し横道にそれるが、私は、人間社会を形成する力として魅力(Attraction)という第5の力を提案したい。魅力は人間を引き寄せてより複雑な系を作る。例えば性的魅力は男女を引き寄せて夫婦という結合系をつくる。魅力から愛が生じる。家族、親族を作る家族愛・親族愛もその一種だ。結合系にはさらに、部族、都市、国家といったより大きく複雑な系もある。これらを作るのも広い意味の魅力であると言えよう。

 複雑系進化のもう一つの重要な要因は宇宙の温度低下である。ビッグバン以降、宇宙は膨張し続け、その過程で温度が低下してきた。宇宙の曲率半径が倍になると、宇宙の温度は半分になる。系の温度は低いほど、より複雑な構造が安定して存在できるようになる。実際、どんな結合系も温度が上がるとバラバラになる。

 温度に関してもう一つ重要なことは、温度差があることだ。具体的には太陽表面という高温部(6000度)と宇宙空間という低温部(絶対2.7度)があることが重要だ。高温部ができる理由は重力である。重力でガスが集まり、圧縮されて高温になる。星の中心部では核燃焼が起きて非常に高温度になる。その熱エネルギーは最終的には太陽表面から放出される。地球上の生命はこの光を利用して生存している。

 この意味からも重力が「引力」であるということが重要なのだ。

そして、シンギュラリティ――AGIからASIへ

 この宇宙進化の延長線上に、シンギュラリティ※1という現象を位置づけることができる。シンギュラリティとは、人工知能が人間の知能を超え、科学技術が爆発的に発展して、社会が劇的に変容する転換点を指す。

 人工知能が人間の知能を圧倒的に超える時点は2025年から2029年の間であると筆者は推測している。現在の人工知能の急速な進歩を考えると、その期間に汎用人工知能(AGI)※2が実現され、その後急速に超知能(ASI)※3へと進化する可能性が高い。汎用人工知能が実現すると、人工知能が自分自身を改良して最終的には超知能(ASI)へと進化する。人工知能が急速に自律的に進化する現象を知能爆発と呼ぶ。超知能ができると、人間ではなく超知能が科学研究を急速に推し進めて、科学技術の爆発的発展が起きるのだ。その結果、社会は大きく変容する。これがシンギュラリティだ。

 もっとも社会自体は簡単には変わらない。慣性があるからだ。知能爆発後の社会の変化は10から20年かけてゆっくりと進行すると予想される。その間に失業が大量に生まれ、紛争や戦争といった様々な摩擦が生じる可能性がある。

 超知能の出現は人類が知能において最高位の存在ではなくなることを意味する。この意味からこのシンギュラリティには、単なる技術的な転換点を超え、宇宙史における重要なエポックとなる可能性がある。生物学的生命(Life1.0)から文化的生命(Life 2.0)へと進化してきた人類が、シンギュラリティを通じて機械・技術的生命(Life 3.0)への架け橋となる可能性だ。

※1 技術的特異点 アメリカのレイ・カーツワイル博士が提唱。筆者はその日本への紹介者として著名。
※2 Artificial General Intelligence
※3 Artificial Super Intelligence

どうなる人類?転換期における課題と展望

 人類の未来について、現在、主に3つのシナリオが考えられている。第一は絶滅のシナリオである。過去の生物の99.9%が絶滅していることを考えれば、これは決して非現実的なものではない。第二は超知能ASIの庇護のもとで人類が生きるシナリオである。これは映画「マトリックス※4」的な世界である。第三は、ASIと人類が一体となってグローバルブレインとでもいうべきものを形成するシナリオである。数百億の神経細胞(ニューロン)の集合体である人間の脳のように、個々の人間を神経細胞に見立てて人類全体を巨大な脳とみなす時、これをグローバルブレインと呼ぶ。グローバルブレインに超知能が加わると、無数の人間と超知能が神経細胞として働き、巨大な脳を形成する―そんなイメージである。

 人類(あるいはその後継者)が絶滅せずにさらに進化した場合の、さらに長期的な未来を考えると、二つの可能性が示されている。一つは拡張主義で、それは宇宙へと文明を拡大・拡張していく道である。もう一つは縮小主義で、外宇宙ではなく内宇宙への探求を進める道である。

 人類が生物学的生命から機械・技術的生命への進化を媒介する触媒的な存在となるかもしれないことはすでに述べた。この意味からすれば、現代は「人類時代の終わりの始まり」であると同時に、新たな知的機械生命時代の「始まりの始まり」でもある。この転換期を人類がいかに賢明に乗り越えるか、それが私たちに課された重要な課題だ。

※4 The Matrix 1999 年制作のアメリカ映画

「シンギュラリティサロン」主催

松田 卓也 先生

1943年生まれ。理学博士。神戸大学名誉教授、NPO法人あいんしゅたいん副理事長。京都大学大学院理学研究科物理学第二専攻博士課程修了。京都大学工学部航空工学助教授、神戸大学理学部地球惑星科学科教授、国立天文台客員教授、日本天文学会理事長などを歴任。2045年問題に危機感を抱き、日本からシンギュラリティを起こそうと「シンギュラリティサロン」を主催。著書に『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』(廣済堂新書)、『正負のユートピア―人類の未来に関する一考察』(岩波書店)、『これからの宇宙論―宇宙・ブラックホール・知性』(講談社ブルーバックス)など。大阪府立北野高等学校出身。

 

大学ジャーナルオンライン編集部

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