スタンフォード大学のハートフルネス授業を主催する心理学者、スティーブン・重松氏の箴言集(しんげんしゅう)から一部を紹介します。
正解主義からの脱却を
人生において、あらかじめ用意された唯一の正解など存在しない。しかし、既存の教育システムは依然として、既成の正解をいかに速く、正確に導き出すかを競わせている。正解を探し求める態度は、自ら問いを立てる力、すなわち自律的な思考の放棄につながる。以前、私の授業を受けた日本の学生が「私たちは何のために生きているのでしょうか」と尋ねてきた。私が「実は僕も知らないよ」と答えると、彼女はひどくがっかりした。「先生でも知らないなんて」という落胆である。

しかし、彼女は自ら考え、こう気づいた。「先生が言いたいのは、人生は他の誰かに決めてもらうものではなく、自分でしか決められないものだということだ」と。正解を他者に求めるのを止めた彼女は、驚くほど心が軽くなったと語ってくれた。真の学びとは、単に知識を詰め込むことではない。既成の正解主義から脱却し、不確実な世界で自分なりに意味を紡ぎ出すことである。そのためにはまず、自分自身が正解を持っていないという事実を謙虚に認める必要がある。
スタンフォードの影―― 完璧主義という病理
スタンフォード大学のキャンパスは、世界で最も優秀とされる若者が集う場所の一つである。しかし、その輝かしい光の裏で、多くの学生が深刻な精神的危機に直面している。この現象を、アヒル症候群と呼ぶ。水面に浮かぶアヒルを想像してほしい。水面上では、周囲の景色に溶け込み、涼しい顔をして優雅に泳いでいる。しかし水面下では、沈まないように必死で足を動かし続けているのである。
スタンフォード大学のハートフルネス授業を主催する心理学者、スティーブン・重松氏
学生たちも同様だ。彼らは失敗してはならない、常に正しい選択をしなければならないという強迫観念に縛られている。周囲に対しては、自信に満ちた完璧な自分を取り繕う。だが、その内面は、不安と恐怖で張り裂けそうになっているのだ。この病理は、一部のエリート学生だけのものではない。現代社会に生きる多くの若者が、同様の重圧に晒されている。他者が定義した正解や評価基準に依存し、与えられた解答をなぞることに終始する。完璧を装うことに汲々とするあまり、自律的な問いが消失している。不完全さの中に宿る、人間としての独自性を見失っているのである。
謙虚さの共有――そのために最も大切なこと
謙虚さとは、ただ人間であることを認めることだ。私たちは驚くべき存在であり、素晴らしい成果を生み出し、他者を深く思いやることができる。その一方で、私たちの知性には限界があり、ときには恐ろしい行為をしてしまう可能性がある。謙虚さとは、その双方を認めることだ。自分たちの知性を尊重しながら、同時に勇気をもって自分たちの無知を認める。
それは、自分を卑下することではない。そうすることで初めて、私たちは学びに対して開かれていく。私がスタンフォードの教室で実践してきたのは、教員としての権威を手放すことだ。教員は唯一の正解を知っている完璧な存在として振る舞ってはならない。指揮者のレナード・バーンスタインは「教えることと学ぶことは一体である」と語った。私にとっても、教えることと学ぶことは常に同時に起こる。

私は、自分が知っていることを教える。それ以上でも、それ以下でもない。私は正解を持つ教授としてではなく、一人の不完全な人間として学生の前に立つ。教員自身が自分も正解を持たないと謙虚に認めることで、教室から不必要なヒエラルキーが消える。同時に、学生たちの中から間違えたら恥ずかしいという強烈な恐れが消え去るのである。この謙虚さの共有こそが、他者の顔色をうかがう正解主義から脱却するための第一歩となる。

スタンフォード大学
スティーブン・重松
ハーバード大学大学院にて教育学博士号を取得。東京大学助教授を経て、20年以上にわたりスタンフォード大学で教鞭を執る。教育、心理学、人文学を横断する革新的な教育プログラムの開発に取り組み、学生一人ひとりが自分らしい生き方や社会との関わり方を探究する学びを実践してきた。スタンフォード大学優秀教員賞受賞。主な著書に『スタンフォード大学マインドフルネス教室』『スタンフォード式 最高のリーダーシップ』『スタンフォードの心理学授業 ハートフルネス』『スタンフォード大学 いのちと死の授業』などがある。