医療人の育成機関として全国トップレベルを誇る藤田医科大学保健衛生学部看護学科では、VR(仮想現実)を活用した臨床体験授業を取り入れている。それが、VRで共有した臨床場面を、看図アプローチの手順で読み解く「VR看図アプローチ」だ。コロナ禍を機に進められた本プロジェクトについて、織田千賀子准教授にお話を伺った。

バーチャルの世界で「見る力」を鍛える
VRゴーグルを装着すると、医療器具、ベッド、そしてベッドに横たわる患者が現れる。さながら集中治療室(ICU)に入り込んだようだ。コントローラーを操作して患者に近づき、表情や呼吸音などを観察する。あわせて、心拍数や血圧などが表示される生体情報モニター(ベッドサイドモニター)を確認し、ドレーン排液の量や色、点滴ラインや各種チューブの接続・固定の状態や異常の有無を確認する。大学の教室でこうした臨床体験ができるのが「VR看図アプローチ」だ。この授業の核は、VRでの「見る」体験を「読み解く」学びへとつなげることだ。まず映像を言葉にして“今ある事実(所見)”を挙げ(変換)、次に要素を関連づけて解釈し(要素関連づけ)、最後に回復過程や起こり得る変化を見通す(外挿)。一連の「看図アプローチの3ステップ」によって学習が進められる。
病院の臨床体験が味わえるこのVRを開発したのは、藤田医科大学の織田准教授だ。ベースとなっている「看図アプローチ」とは、絵図・写真・グラフ等のビジュアルテキストを読み解き(理解・解釈)、評価し、表現して伝える能力を鍛える学習手法である。例えば会社のデスクの画像を題材とした場合、ペン、筆立て、ファイル…と、まず誰が見てもそこにあるとわかるものを挙げていく。次にそれらの要素を関連づけ、次に起こることを予測する。ペンが机の端にあれば、それが落ちるかもしれない未来を予測するのだ。
このように「今ある事実」と「起こり得る未来」を読み解くことは、看護師にとって不可欠な能力だ。それは回復過程の見通しを立てながら、起こり得る合併症や急変を予測することにつながる。このように「所見の把握」と「見通しの形成」を往復しながら判断する力を養うことができるのが、「VR看図アプローチ」なのだ。
病院実習で気後れしてしまう学生を後押し
「看護学生は十分な知識を修得して病院実習に臨みますが、いざ病棟で患者を前にすると気後れしてしまったり、看護師の説明を聴くことに一生懸命になり、受け身になってしまうことが少なくありません。それでは貴重な機会を十分に活かしきれない。そこで重要になるのが、実習前のトレーニングです」

そのため、織田准教授は大学病院のICUをカメラで撮影し、病院実習前のトレーニングに活用してきた。しかし部分ごとに撮影した写真では、なかなか全体像がつかめない。その悩みを解決する方法として浮上したのが、360度カメラで撮影した画像をVRで観察するという方法だ。
そのアイデアを後押ししたのがコロナ禍である。このときは病院実習の実施が困難になり、一部は学内実習に切り替えられた。そんな状況でも学生に臨床経験を積ませるため、織田准教授は成人看護学教員を中心に開発チームを編成し、藤田医科大学病院の協力を得てコンテンツ作成を進めた。
しかし、VRを納得できるレベルに仕上げるまでには数々の困難があった。コンテンツ制作にあたっては、まず学生に何を学ばせるか、そのためにどんなシーンが必要かを決め、撮影部隊と打ち合わせを行う。患者役も素人では動きにリアリティが出ないため、シナリオをつくって俳優に依頼。次にスケジュールを調整し、病室と医療機器を手配する。当日は、機材を整えて患者役にチューブを装着し、本物のICUの様子を再現する。それだけで数ヶ月を要するが、いざ撮影となっても、緊急入院があると病室を空けなければならない。急遽、別室に移動し、撮影を継続したこともあったという。
学生が夢中になり、効果的な学習が生まれる
「私は、教科書や動画等で知識を得るだけでなく、臨床の場面を疑似体験し、術後患者をイメージしながら学ぶことで、知識が観察の視点や思考と結びつき、実習での観察や判断に移しやすくなると考えています。そのため、VRはまず2年生の授業で活用し、観察の視点や合併症を関連づけて思考し、理解できるように学習します。急性期の看護を学ぶ実習が始まるのは3年生ですが、患者の状態は回復の過程の中で刻々と変化し、同じ場面を何度も経験することはできません。術後の患者を目の前にすると緊張で頭が真っ白になったり、看護師の説明が十分に入ってこなかったりして、せっかくの体験を学びに変えきれないこともあります。だからこそ、3年生の実習直前にもVRで観察を体験し、“何を見るか” “どう関連づけるか”を身に付けて実習に臨みます。十分な準備をして臨むことで、1回の体験を確実な学習につなげたいのです」
VRは臨場感を持って没入できるため、病院実習に近いリアルな感覚を得ることができる。VRの中で患者に近づき、まず全身状態や周辺機器を観察して、どの情報を拾うべきかを確かめる。ときには教員がヒントや問いかけを加え、学生が観察で得られる所見(今ある事実)に気づけるよう促す。授業ではそれを20分程度行った後、VRゴーグルをはずし、タブレットに画像を映してより詳細に検討する。次に3~4人のグループをつくり、観察した患者の状態と、回復過程の見通し(起こり得る経過)を話し合い、どう解釈するか考える。その際、患者が抱える身体的・心理的苦痛もふまえ、どのようなケアが必要かを議論する。さらに、患者の生活背景や家族との関係についても検討する。

このように仲間と意見交換することで、観察した内容を表現し、伝達する力が鍛えられるだけでなく、互いに教え合い、学び合って整理できたという喜びが学びを支えてくれるのだ。そしてそれに加え、仲間の視点に触れることで、「そこまで見えていたのか。 次は見逃さない」という前向きな悔しさや向上心も生まれる。
発見を得ると、人は誰かと共有したくなる。VRゴーグルをつけて観察するだけでは「わあ、すごい」で終わってしまうが、グループ学習と組み合わせることで、学生同士が互いの気づきを持ち寄り、補い合いながら意味づけを深めていくことができる。こうした協同的な学び合いによって、学習への集中や楽しさが生まれ、モチベーションがアップする。VRは実習の代替ではなく、学生がより主体的・効果的に実習にのぞむためのツールなのだ。
学生がやる気になるかどうかは、教員の工夫次第
「看護師に必要な観察力は、 “よく見なさい”と言うだけで身に付くものではありません。学生が主体性を持って観察できるようになるかどうかは、私達の工夫次第。実際にVRを取り入れるようになってから、病院実習を担当する看護師から“学生は観察ができるようになってから実習に来ていますね”と評価されるようになりました」
VRの授業を経ているから、ICUに入ったときに何を優先して観察・確認すべきか、着眼点と順序の見通しを持ちやすくなる。そして協同的な学び合いを通し、患者の心理や、状態変化の見落としが患者の安全にどんな影響を及ぼすかも含めて理解を深める。病院実習中の学生は、手術後の患者に声をかけるとき、「体調はどうですか」といった抽象的な問いに留まりやすいことがある。そうなってしまうのは、患者の状況をイメージできず、何を尋ね、何を確認すればよいかが整理できていないからだ。たとえば手術後は、計器類のモニターの光や音など、周囲の環境で寝られない患者もいる。そういった状況を踏まえて相手の気持ちを汲み適切な関わりにつなげるために、VRを活用した授業体験が必要なのだ。

「VRは視覚に訴えるもので、それをやったからといって経験が増すわけではないのではないか、と言われたことがあります。しかし学生が何を経験できるかは、授業のデザイン次第で変わります」
VRで観察し、気づいたことを持ち寄ると、学生同士で見え方のズレが生まれる。授業ではそのズレをすり合わせながら疑問を言語化し、根拠を確かめ、必要に応じて調べたりディスカッションしたりして解決へつなげる。解決に至った点から、さらに新たな発見が生まれ、学びと問いが連鎖していく。学生たちは教員側の予想をはるかに超えてビジュアルテキストを読み解き、調べ、対話を重ねている、と織田准教授は言う。そうやってどんどん経験値を積んでいるのだ。
VRが切り拓く新しい教育の形
現在、VRを活用した本学科の授業は成人看護学分野で行っている。今後は、急性期の教育プログラムとしての完成度と汎用性を高めるため、学習目標に応じて活用しやすい教材設計やコンテンツ整備を進めていきたい。教材の基盤が整えば、学内外での活用可能性はさらに広がる。そこで織田准教授がひそかに考えているのは、緊急時の多職種連携を学ぶためのVR活用だ。たとえば救急・急性期の現場では、状態が刻々と変化する患者に対し、限られた時間の中で情報を整理し、優先順位を判断しながら多職種が同時並行で動くことが求められる。さらに災害時には、それに加えて医療資源や人員が十分でない状況での判断や役割分担が課題となる。こうした状況をVRで疑似体験し、職種ごとの視点で状況を読み解き、討議を重ねることで、共有すべき情報の要点、判断の優先順位、合意形成のしかたや連携の進め方など、連携の実際を学ぶトレーニングへと発展させたいという。
VRはあくまで仮想の世界だが、詳細な観察やグループディスカッションによって現実世界と回路をつなげることで、新たな可能性が広がる。よりよい医療を実現するため、大学側にも新しい技術に対応する力が求められているといえるだろう。

藤田医科大学 保健衛生学部看護学科 准教授
織田 千賀子
2015年 愛知県立大学大学院 看護学研究科 博士前期課程 修了
2026年3月 藤田医科大学大学院保健学研究科 博士後期課程 修了見込み
中部学院大学 看護リハビリテーション学部等での勤務を経て、2018年より藤田医科大学 保健衛生学部 看護学科 講師。
2024年4月より 藤田医科大学 保健衛生学部 看護学科 准教授に就任。
