1951年、日本で初めて美術・デザイン系の通信教育をスタートさせた武蔵野美術大学。以来、社会人を含む数多くの学生が「ムサビ通信」で美術やデザインを学んできた。通信教育課程長の清水恒平教授に、社会人が美大で学ぶ意義や、ムサビ通信ならではの学びの環境、AIが台頭する時代に美術教育が果たす役割について話を聞いた。

 

清水 恒平 教授(造形学部通信教育課程 デザイン情報学科/通信教育課程長)

経営者から主婦まで。多様な背景を持つ社会人が学ぶ「ムサビ通信」

 武蔵野美術大学の通信教育課程「ムサビ通信」は、美術分野の通信教育としては日本で最も長い歴史を持つ。かつて通信教育といえば学ぶ年齢層も高いイメージがあったが、現在は20代から40代の働き盛りの社会人学生が増えてきている。

 在籍する学生はすでに作家活動をしている方やデザイナーはもちろん、経営者、公務員、教員、エンジニアから広告代理店、商社などに勤務する人まで多岐にわたり、主婦が「もう一度学び直したい」という理由から進学するケースもある。年齢層も幅広く、18歳から80歳代まで在籍しており、大学卒業者が最も多い。

 では、すでに一度大学を卒業した社会人が、改めてムサビ通信の門を叩く理由はどこにあるのだろうか。近年、社会人の学び直しが注目されているが、その目的は、「スキルアップしたい」「キャリアアップに役立てたい」など仕事に関連するものから「知的好奇心を満たしたい」「人生をより豊かにしたい」など、人生そのものに関連するものまで幅広い。

美術の理論を学び、学生が『自分自身の表現』を模索する場

 ムサビ通信の学びは、「通信授業(自宅学習)」「面接授業(スクーリング)」「メディア授業(オンライン)」の三つの形態を組み合わせて進める。通信授業は自宅で制作や学習を進めて課題を提出し、教員が添削してフィードバックする。スクーリングは土日を中心に一年中開講されており、学生は自分のスケジュールに合わせて受講する科目を選べる。遠隔会議システムを使ったオンライン授業も充実しており、学生同士がグループを組んでひとつの作品を作り上げることも珍しくない。

 このように学びの環境は整備されているが、通信教育課程長の清水恒平教授は「ムサビ通信で学べばすぐにスキルが身につくと考えるのは危険」ときっぱりと語る。

「サッカーのルールを聞いただけではサッカーが上手くならないのと同じように、デッサンの理論や書き方を学んだだけで上手くはなりません。大学は、今すぐに使える理論や技術を身につける場所ではなく、次の表現、次のデザインの考え方を研究していく場です。そこに、職業訓練校や専門学校との違いがあります」

 では、大学で何を学ぶのか。「何をどのように見るか。そして、どのような問いを立て、どのような答えを出していくか。そこが一番大事です」と清水教授。20世紀半ばに活躍した抽象表現主義の画家ジャクソン・ポロックが「ドリッピング」という表現手法を生み出したように、既存の理論を学び、そこから学生が自分自身の表現を見出していくことが、アカデミックの場で美術を学ぶ本質であると清水教授は語る。

試作品を作り、検証し、改善する「プロトタイピング」の力が身につく

「今すぐに使える理論や技術を身につけるのではなく、何をどのように見るか。そして、どのような問いを立て、どのような答えを出していくかを学ぶ」――清水教授が語ったこの言葉から見えてくるのは、意外にも「社会のあらゆる場で生かすことのできるスキルが身につく」という事実だ。

 例えば、「観察の解像度」。「デザインをするにあたって、最初に行うのが観察することです。何をどう観察するかは人それぞれですが、観察をするたびに解像度が上がっていくし、それにより、今まで見つけられなかった課題を発見する力が高まります」

 観察の解像度が上がると、職場や日常の中で「気づかなかった問題に気づく」「全然違う解決方法を思いつく」という変化が生まれると清水教授は指摘する。

 また、デザインを学ぶ学生たちは、「試作品を作り、検証し、改善していく」というプロセスも経験する。いわゆる「プロトタイピング」と呼ばれるもので、学生たちはさまざまな実技課題を通してこの経験をする。だからこそ、職場での「気づき」を「改善」につなげていくことができるのだ。
武蔵野美術大学 鷹の台キャンパス

「選ぶのも、判断をするのも私たち」——AI時代に美術教育が果たす役割

AIの台頭により、デザインや美術の仕事にも変化が見られる。なかには、「デザイナーの仕事はAIに奪われる」といった過激な予測をする人もいる。清水教授はこの変化を、デザインの世界がこれまで経験してきた変遷の延長線上で捉えている。

「例えば紙の広告媒体を見ていくと、アウトプットの方法は活版印刷から写植へ、デジタルへといった変遷がありました。今のAIによる変化は当時以上の大きなインパクトがありますが、これまで大切にしてきたことを守っていければ、怖がることはありません」

 AIが数百個の作品を生み出せるとしても、「選ぶのも、判断をするのも私たちです」と清水教授。だからこそ、「解像度の高い観察力」を備え、次の時代を切り拓ける人材を育てることがムサビ通信の使命だと考えている。

「今ある職業を目指すことも大切ですが、その職業の可能性を広げてくれるような人材、あるいは、それ以上に今はない職業や新しい分野、考え方を切り拓いていくような人材をムサビ通信から輩出できたらと思っています」

 もちろん、デザインもアートも、社会があって初めて成り立つものだ。そのため、「今、社会はデザインに何を求めているのか」「現在のアートの流れにおいて、どこに立つのか」を考える視点も必要になる。ムサビ通信では、このようなデザインやアートのトレンドを考慮して、学びの領域やカリキュラムを柔軟に変更してきた。2020年4月には、多様な領域を自由に学べるよう大規模な学科・コース再編を行ったほか、週末スクーリングやメディア授業を拡充。最前線で活躍するデザインのプロから「今のデザイン」「今のアート」が学べる環境を実現している。

「スタートラインに立つことが、一番大事」——迷っている皆さんへ伝えたいこと

毎年開催しているムサビ通信の入学相談会では、「卒業後、どういう職業に就けますか?」「何年かけて卒業できますか」という質問が多く寄せられる。清水教授は「すぐに仕事に直結するかと言うと、そんなことはない」と答える。

 厳しい言葉だが、この言葉から、社会人がムサビ通信で学び直す「価値」が見えてくる。

「大学や短期大学、高等専門学校、専修学校の卒業者は、アートやデザインの経験がなくてもムサビ通信の3年次に編入できますが、最短の2年で卒業する必要はありません。1年間だけ通うのも『あり』ですし、興味ある授業だけ履修するのも『あり』です。なかには、何年もかけて卒業する人や、仕事が忙しくなって中断し、再度、入学して卒業した人もいます。学びのスタイルは人それぞれ。ムサビ通信という環境で、学びたいことを探し、見つけて、自由自在に学んでほしいと考えています」

 最後に、「ムサビ通信で学び直すこと」に興味があるものの、一歩を踏み出せずにいる社会人に向けてメッセージをいただいた。

「物事が上手く進まないとき、デザインには、原因が何であるかを考えてリストアップし、原因を一つずつ潰していく思考があります。なぜ自分は一歩踏み出せないのかと考え、その原因を解決する方法について考えると、道が開くかもしれません。」

 通学制と違って、ムサビ通信に入学するために必要な準備は一切ない。入学してから準備してもいい。だからこそ、思い切ってムサビ通信の門戸を叩いてほしいと清水教授は願っている。

武蔵野美術大学 造形学部通信教育課程 デザイン情報学科/通信教育課程長

清水 恒平(しみず こうへい)教授

1976年福井県生まれ。武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業。専門はインタラクションデザイン。オフィスナイス株式会社代表取締役。プログラミングとタイポグラフィを軸に幅広く活動。2012年4月、武蔵野美術大学に着任し、通信教育課程長を務める。

 

武蔵野美術大学 通信教育課程

大学ジャーナルオンライン編集部

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