AIが文章を書き、画像を生成し、法律文書の整理や判例の検索まで支援する時代になった。SNSでは一人ひとりに最適化された情報が流れ、将来的にはAIが自律的に買い物や交渉を行うことも当たり前になるかもしれない。こうした社会で、法学はどのような役割を果たすのだろうか。京都産業大学法学部の來住南桃先生は、「AI時代だからこそ、法学を学ぶ意義はむしろ増している」と語る。法律家や公務員を目指す人だけでなく、企業で働く人、技術を使う人、社会の一員として生きるすべての人にとって、法学はこれからますます重要な「考えるための武器」になっていく。

AIが切り崩す、近代法の前提
來住南先生は、AIが法学にもたらしている変化を、単なる「新しい技術への対応」とは捉えていない。より根本的な変化が起きているという。「AIが法学にもたらしているのは、近代法の諸前提を問い直しているということだと思っています」と先生。
これまでの法は、基本的に「人間」を主人公としてきた。人間は自分で合理的に考え、自由に行動し、その結果について責任を負う。人間以外のものは道具や物として扱われる。これが近代法の基本的なモデルだった。
しかしAIは、その前提を揺さぶっている。AIは人間ではない。しかし、人間の命令を一つひとつ待たなくても-いわば「自律的」に-文章を生成し、画像をつくり、判断に近い働きをする。さらに、AIは人間社会に存在する大量のデータを学習するため、社会の中にある偏見や差別、バイアスまでも再生産してしまうことがある。「これまでの法律やルールの枠組みでは、うまく処理しきれない問題がたくさん出てきています。だからこそ、法がこれまで何を実現しようとしてきたのか、どんな機能を果たそうとしてきたのかに立ち返る必要があると思います」と先生は強調する。
ディープフェイクが問いかける「被害」の形
先生が現在研究対象の一つとしているのが、性的なディープフェイクの問題だ。AIによって、実際には存在しない映像や画像がつくられ、それが人を傷つける。ここでは、従来の法律が前提としてきた「現実に起きた行為」や「実在する被害」という考え方だけでは、十分に対応しきれない場面が生まれる。「これまでの法律は、実際に存在する人間が、何らかの実際に存在する被害を受けるというモデルに立ってきました。しかしディープフェイクの場合は、存在していない行為や存在していない場面がつくられてしまいます。このような場合に、誰にどのような法的な被害を認め、誰に責任を負わせるべきかは、未だに答えのない問いです」と先生は、従来の法が直面する難しさを示す。
では、そうした画像が拡散されたとき、誰かに責任を問うべきなのか、そうだとすれば、誰がどのように責任を負うべきなのか。作成した人か、拡散した人か、プラットフォームを運営する企業か、それともAIを提供した企業か。従来の枠組みをそのまま当てはめるだけでは、答えは簡単に出ない。
ここに、新領域法学の出番がある。

新領域法学とは何か
新領域法学とは、単に新しいテーマを扱う法学ではない。従来の法学において中心となってきた法文や判例を精密に読み解くだけでなく、哲学、倫理学、心理学、経済学、工学など、隣接する諸分野の知見を取り入れながら、学際的に社会の課題に向き合う法学である。「法がこれまで取り扱ってこなかった領域を扱うという意味でも新領域ですし、これまでの法学とは違う方法論を用いるという意味でも新領域だと思っています」と、先生はその面白さを語る。
AIやSNSなどのデジタルテクノロジーの進展や、生命科学・医療研究の発展、さらにはジェンダーやセクシュアリティ、多様性に関する価値観の変化など、現代社会の問題は、一つの分野だけでは解決することができない。技術の仕組みへの理解や倫理・哲学等人文科学の視点を取り入れながら、社会で機能するルールを考えていく。そこに、新領域法学の面白さがある。
「規制か自由か」ではなく、「どう規制するか」
AIをめぐる議論では、「規制すべきか、自由に任せるべきか」という対立でしばしば語られがちである。だが、AIは危険だから止めればよい、あるいは便利だから自由に任せればよい、というほど単純な技術ではない。「これまでは、新しい技術に対して、規制をするのか、野放しにして自由にするのか、という問いの立て方がされがちでした。しかし、今後は「どのように規制するのか」という問いを中心として考えていく必要があると思います」
AIには、差別的な判断の再生産、侵害、誤情報の作成・拡散といったリスクがある。しかし同時に、医療・科学研究・教育等への活用や、労働力不足の解決など、社会の課題を解くための大きな可能性も有している。悪いリスクを避けようとして技術そのものを押さえ込めば、そうした可能性まで失われてしまう。
そこで注目されるのが、アジャイル・ガバナンスという考え方である。国がすべてを事前に上から決めるのではなく、企業、行政、専門家、市民などが関わりながら、リスクを分析し、改善を繰り返していく。変化の速い技術に向き合うには、社会の側もルールを更新し続ける必要がある。
法学は、法曹だけのものではない
この話は、法学部で学ぶ意味にも直結する。
法学部というと、弁護士、裁判官、検察官、公務員を目指す人のための学部というイメージがあるかもしれない。しかし、AIやデジタル技術が社会全体に広がるなかで、法的な視点は、企業で働く人にも、技術を開発する人にも、サービスを利用する人にも必要になっている。「法曹や行政に進む人だけではなく、民間企業に進む人も、どの場所にいる人も、法学の知識を身につけたうえで、社会のガバナンスに関わっていくことが求められていく時代になっていると思います」と先生は語る。
法学とは、条文を暗記するだけの学問ではない。人間社会にとって何が大切な価値なのか。多様な考えを持つ人々が、どうすれば共に生きられるのか。誰が不利益を受けやすく、その人たちをどう守るのか。そうした問いを考え続ける学問である。
AIが判例を調べ、文章を整え、論理の整合性を確認するようになれば、法律家の仕事の一部は変わっていくだろう。しかし、それは法学が不要になるということではない。むしろ、法学が本来向き合ってきた「私たちはどのような社会を生きていきたいのか」という根本的な問いに、より集中できる時代になるのかもしれない。
AIを恐れず、変化に応じて立て直す
先生は、授業の中でもAIを学びの道具として活用することを勧めている。複数のAIモデルを使い比べ、出力を確認し、問い方を変えながら、自分の目的に合う使い方を探る。そうした実践を通して、学生たちはAIの力と限界を学んでいく。プライバシー「船に乗らなければ、操縦の術はわからないように、実際にAIを使ってみなければ、どのようなAIの使い方をすればよいのかはわからないと思います。自分の頭で考え、実行できる力と、AIを使ってより良いものをつくる力。その両方を高めていってほしいと思っています」と先生は語る。
AIを避けるのではなく、使いながらも自分の頭で考え続けることをいかに確保するのかが、これからの時代で最も切実な問いである。
そしてもう一つ、先生が高校生に伝えたいのが「レジリエンス」だ。AIやテクノロジーの進展によって、社会の変化はますます速くなっている。今なりたいと思っている職業の形が、数年後には大きく変わっているかもしれない。だからこそ、一度決めたことに固執しすぎず、変化に応じて柔軟に立て直す力が大切になる。
先生自身も、もともとは法曹を志してロースクールへと進んだ。しかし、師との出会いをきっかけに研究者の道へ進むことになる。制度を批判的に見る視点や、人と違うものの見方を生かせる場所が研究だった。
AI時代だからこそ、法学の役割は小さくなるのではない。むしろ、社会のルールを誰かに任せきりにせず、自分たちで考え、つくり、更新していくために、法学を学ぶ意味は広がっている。

2027年、京都産業大学 法学部がリニューアル法律を「覚える」から、社会で「使いこなす」へ
AI、SNS、地域課題、企業活動、公共政策。現代社会の問題は、教室の中だけで完結しない。だからこそ京都産業大学法学部は、2027年4月から新しいカリキュラムを導入する。
掲げるのは、「答え」を覚える法学部ではなく、法律を「武器」として使いこなす法学部。1年次には、法律学、政策学、憲法、民法、刑法などを通して、法学を学ぶための基礎を丁寧に固める。そのうえで2年次以降は、進路や関心に応じて専門的な学びを深めていく。
中でも特徴的なのが、新設される『企業・ビジネスコース』。法学部の進路は、法律家や公務員だけではない。企業のコンプライアンス、知的財産、取引、労務、リスク管理など、ビジネスの現場にも法的思考力は欠かせない。民間企業で活躍したい学生にとっても、法学を実践的に学べる環境が広がる。
さらに、共創型リーダーシッププログラムや地域フィールドワーク、模擬裁判、企業・公共機関訪問など、行動を通して学ぶ機会も充実する。多様な立場の人と対話し、課題を見つけ、解決策を考え、社会へ発信する力を養う。
変化の速い時代に必要なのは、知識を持っているだけの人ではなく、その知識を使って社会に働きかけられる人だ。京都産業大学法学部は、公務員、法律家、企業人など、多様な未来を目指す学生に向けて、社会で使える法学を教育していく。

京都産業大学 法学部 助教
來住南 桃 先生
京都大学法学部卒業、京都大学大学院法学研究科法曹養成専攻修了。京都大学大学院法学研究科法政理論専攻博士課程修了。博士(法学)。愛知県立旭丘高等学校出身。
