国内で最多の発行部数を誇る読売新聞社。40年に亘って続いた渡邉恒雄体制の後、今春から主筆を引き継いだのが老川祥一さん。84歳の今も、報道と言論の二分野の最高責任者を兼ね、 時に社説にも健筆を振るう。8月には日本の政治家に先駆けて就任間もない韓国の李在明大統領を訪れ、日韓の懸案問題に関する前政権との公約を踏襲することを確認し、報道機関としての存在感を高めた。これからの日本の進路、 大所高所から見た日本の教育について、そして若者へのメッセージを聞いた。

時の人の本音に迫る
―記憶に新しい8月の李在明大統領 訪問のいきさつや、その意義についてお聞かせください
老川: 弊社のソウル支局ではかねてから新大統領へのインタビューを打診していました。新大統領が、いわゆる慰安婦・元徴用工問題について、前政権と日本との合意を踏襲するのかどうか、野党時代の反日的な発言から、日本国内には強い懸念があったため、その点を問いたいと考えたからです。
ほどなく、私が訪韓するなら会見を受けてもらえるとの返事がきました。そこで、チーム読売で訪韓し、この点について直接質問したところ、国同士の約束を反故にすることはないと明言されました。この時のインタビュー等については、弊紙の8月21日の朝刊で、1面から5面にかけて大きく取り上げ、大きな反響を呼びました。
これまで私は、政治記者として、政府にとって都合の悪いことであっても真実を伝えることを最優先に考える姿勢で臨んできました。そのため時には、政治家や官僚には疎まれることもありましたが、今回は外務省関係者などからも感謝されました。というのも、前政権との合意を新大統領が踏襲するとの報道が、両国の政治家や政策担当者、そして国民の間に共有され、その後の日韓首脳会談などで、この問題について波風の立つような場面なしにスムーズに進むことができたからです。
政治家や官僚に先立ち、重要な人物に直接お目にかかって本音を引き出し、社会に公表する、そしてそれを通じて、国内政治や国際政治に影響を与える、これは報道機関として、またジャーナリスト個人としても、大事なミッションの一つであり、厳しい現場に立ち向かう際の力や、やりがいの源泉ともなるものです。
高倉健の教育論に感銘した
―ジャーナリストと言うと幅広い分野に人脈をお持ちだと思います。政治記者としては少し畑違いのようですが、かの高倉健さんともご親交がおありだったと伺っています。思い出に残るエピソードを一つお聞かせ願えますか?
老川: 2000年の文化の日、「新世紀の担い手育てる 個性の違い大切に/真の高等教育再建」として、小学校から大学までの教育について、読売新聞として提言をまとめて発表したことがあります。通常この種の紙面には、教育界の識者などのコメントを載せるものですが、時には、教育制度などの専門的なことではなく、若者へ向けて、人間の生きざまに基づいた思いをメッセージとして贈りたいと考えて、親交のあった高倉健さんに寄稿を依頼しました。
ちょうど映画の撮影に入る直前の時期で、事務所からは一旦断られましたが、翌日、ご本人から直接電話がかかり、引き受けて下さることになり、その翌日には、おそらく宿泊先のホテルで一晩かけて書かれたと思われる原稿が届いたのです。
「君たちへのメッセージ」は、そして「心にいつも辛抱ばい」として、小学生の時、足をすりむいて家に帰ってきたときに母親からかけられた「辛抱せんと、いかんとよ」という言葉を、健さんは生涯心に留め、命がけの撮影時など、大変苦しい時にはいつも、「辛抱ばい!」、辛抱が大事と、歯を食いしばって頑張ってきたというのです。そこから、経済的豊かさだけを追う昨今の風潮や、学ぶ楽しさを置き去りにして、成績を数字だけで評価しがちな教育に対する苦言へと、メッセージは展開されます。
環境が始めから自分に良くしてくれることはあり得ない。汗をかいて努力して、もちろんそれは実るとは限らないけれど、やはり努力を続けることが大事だと考えてきた私は、わが意を得たりの思いでした。きわめて当たり前のことですが、このような考え方が、この時点でも、そして今ではもっと希薄になっているのではないかと心配しています。
後日談があります。原稿料について説明したところ、「原稿料が欲しくて書いたのではない」と即座に受け取りを断られました。社の規定もあることから私は困りましたが、翌日彼から電話があり「やはりお受けすることにする。受けなければあなたが困るだろうから」と。話はさらに続きます。原稿料を振り込ませてもらってやれやれとひと息ついたところに、小さな荷物が届きました。中に入っていたのは、高倉健の署名が刻印された、1931年モデルの、とても高価な万年筆でした。1931年は健さんの生まれ年。私は今でもそれを宝物として傍に置いています。
デジタル教科書推進は、慎重の上にも慎重に
――教育問題に関して、かつてはゆとり教育批判、今またデジタル教科書の急激な推進について批判的な論調を展開されるなど、マスメディアにあって一貫して気を吐いておられるように見受けられます。
老川: 一連のデジタル教科書問題については面白いエピソードがあります。2022年春からのデジタル教科書の一部教科への導入に際して、日頃、論調を異にする競争紙のある記者が、社説のページに「本件、私は読売に同感です」 (2022年5月29日)と書かれたのです。
デジタル教材は映像や音声などを使って紙とは異なる教育効果を高めることができます。しかし、教科書として紙と同等に扱うことが、果たして子供の教育にとっていいことなのか。深い思考や記憶の定着には紙に優位性があるという見解も多く、まだまだ検証不足だと思います。利便性ばかりを強調するあまり、紙の良さを軽んじてはいけない。実際、現場の先生方がもろ手を挙げて賛成されているわけでもないと聞きます。またデジタル教科書先進国と言われる北欧諸国の間では、効果を疑問視し、紙の教科書を再普及させる動きも見られます。
(読売新聞の主な報道)
● 「なぜ利用の拡大を急ぐのか」 (2024年9月11日社説)
● 「巨額予算推進ありき 学習効果検証置き去り」(同9月23日)
● 「教科書 紙に回帰――スウェーデン端末重視で学力低下」(同10月22日)
● 「学校現場対応に苦慮」(2025年1月16日)
こうした中、中央教育審議会、初等中等分科会のデジタル教科書推進ワーキンググループは先頃、《紙と同じ正式な教科書として扱う旨を審議のまとめとしました。この先これが、全体会議であまり審議されずに答申に盛り込まれるようなことになれば、最初から結論ありきではなかったかと、審議会の在り方そのものも問われることになると思います。中でも私たちが一番危惧するのは、地域によって、または学校によって紙の教科書を全く読まない、読んだ記憶の全くない子どもたちが出てくる可能性がないとは限らないということです。これは、日本の教育にとって大きなマイナスではないでしょうか。
道徳について、もっと簡単に考えることはできないだろうか
―ほかにも日頃お感じになっていることがあればお聞かせください。
老川: 最近の国の発表によると不登校児童生徒数が35万人を超え、全児童生徒の4%に迫るとされています。一方で教員側にも、教育者として極めて不適切な盗撮画像をSNS上でやり取りするグループが摘発されるなどの問題が起きるなど、これまで盤石と思われていた日本の初等中等教育に強い危機感を覚えています。これらの現象や事件の検証は極めて慎重に行わなければいけませんが、それにつけても日頃から一つ気になっていることがあります。それは先の高倉健さんからのメッセージとも重なりますが、人としての教育、道徳教育が、この間やや軽視されてきたのではないかということです。
2015年の「道徳」の教科化、道徳を特別の教科として盛り込もうという学習指導要領の一部改正を前に、様々な意見が飛び交いました。反対の主張には(特定の考えの押しつけになる)というのが多かったですが、本紙は、〈社会のルールを学び、思いやりの心を培う意義は大きい〉との主張を一貫して貫きました(2014年1月12日、2014年8月28日 社説等)。
日本には今なお、道徳というと何かとても難しいことを議論するような雰囲気が残っています。しかし、もう少しシンプルに考えることもできるのではないでしょうか。
フランスの著名な思想家ヴォルテールは、哲学者パスカルがそれまでの道徳を、確実な真理に基づいていないなどとして認めなかったことに対して、孔子の「己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ(自分がしてほしくないことは、他人にしてはならない)」という言葉を挙げて反論しています。自分がされて嫌なことを人にしてはいけない、人間の行為の基準としてこんなに確かなことはないだろうと。
今の日本社会には、ことさら物事を少し難しく考える、言いかえると、すべてを相対化して考える風潮があり、教育に関して保護者も学校も、ここでは叱ってはいけないのではないかなど、自信を失っているように見えます。
しかし、何事につけても、まず自分がされたらどうなのかを考え、それを他人にはしないよう心掛けるといった道徳の基本は、そんなにむずかしいことではないはずです。このことを、大人は子供にもっと伝えなければならないのではないか。なぜなら子供たちはそこから、人間っていったい何だろうとか、自分たちはどう振る舞うべきか、どうしたらいけないのかを学んでいくからです。勉強ができることは大事だけれど、このように考え方を育てることはそれと同じ、あるいはそれ以上に大事なことだし、AIとの共生が深まれば深まるほど、ますます大切になってくる。これは小学生や中学生・高校生だけにかかわる問題ではないと思います。大学生にとっても、高度な学問はもとより、高い教養を身につける際にも、欠かせない素地だからです。
どうなる日本、どうする日本
―最後に政治記者として、昨今の世界情勢を踏まえ、次世代を担う若者にメッセージをいただけますか
老川: 新聞記者になって60年以上経ちました。この間、様々な出来事がありましたが、世界は今、100年に一度と言っていいぐらいの大きな転換点を迎えていると感じています。
第2次世界大戦後の世界は、米ソ冷戦に始まり、中国の台頭から今日まで、巨視的に見れば、緊張をはらみながらも、大国間による、ある種の秩序のようなものが保たれてきた。それが近年、その大国自らが、それを壊しつつあるように見えます。
日本はこれまで、かつてはアメリカとソ連、近年はアメリカと中国の間に挟まれて、あまり自己主張をしなくてもうまく生きてくることができた。しかしこれからどうでしょうか。昨今の世界情勢は、目をつぶっているうちに元へ戻るというような生易しいものではないと思います。
国内政治に目を転じても、戦後80年のうち約70年を占めていた自民党一党支配体制が弱体化しつつあり、不安定要素が増してきています。まさに外憂内患の中に私たちは置かれているといっても過言ではありません。
こうした中で私たちは、日本は世界が平和でなけれれば平和でいられない国であるとの認識を改めて深め、これまでのように「平和は大事だ」と主張したり議論したりするだけでなく、「平和の方法、つまり自分たちはどうしたら平和でいられるのか」を考えなければならなくなった。しかもそれを政治家、あるいは与党だけに任せておくのではなく、すべての大人たち、そして若い人一人ずつが真剣に考えなければいけない。そういう時代に、今は入ってきているのだと思います。
そのことは一方で、ある意味で今はチャンスの時代でもあるとも言えます。日本はアメリカやヨーロッパ、多くのアジアの国々だけでなく、アフリカ諸国とも過去のわだかまりなく向き合える数少ない国です。しかも、技術力、知的能力は高く、経済力もまだまだあり、いろいろな形で世界に貢献できるし、しかもそれを世界は求めているからです。
AI時代、SNSによる情報発信が増える中での言論機関、報道機関としての新聞の役割
新聞の特徴は一言で記録性、一般性、公開性と言われています。記事掲載に当たっては必ず、「裏付けがあるか」「複数の目でチェックされているか」「複数のソースを確認しているか」などを原則とし、「間違ったこと、不確かなことは書かない」「犯罪にかかわることでなければ、人に知られたくない話を、特定の人のプライバシーは書かない」「記事には、社として責任を持つ」という姿勢を貫いています。
また新聞紙面は、俯瞰性があり、他紙との比較もしやすいだけでなく、一覧性があるので興味のない話題にも目が触れやすい。SNS上での様々なトラブル、また生成AIによる情報の真偽が問題とされる中、その使命はこれまで以上に重いと考えています。

読売新聞グループ本社
代表取締役会長・主筆
老川 祥一 さん
1941年10月25日生。1964年3月 早稲田大学政治経済学部卒業、4月 読売新聞社入社。1986年6月 政治部次長、以後論説委員 、政治部長 編集局次長、調査研究本部長を歴任。1998年6月 取締役編集局長、2001年3月 大阪読売新聞社 専務取締役 編集担当を経て2005年6月 同代表取締役社長、2007年6月 読売新聞東京本社 代表取締役社長、2011年6月 読売新聞グループ本社 取締役最高顧問、2013年6月からは主筆代理を兼任、 2014年12月国際担当(The Japan News 主筆)を兼任、2016年3月 読売新聞グループ本社 取締役最高顧問・主筆代理 国際担当(The Japan News 主筆)、読売巨人軍 取締役オーナー(~2018年7月まで)。2019年9月 読売新聞グループ本社 代表取締役会長・主筆代理 国際担当(The Japan News 主筆)、2020年6月 読売新聞東京本社 取締役 論説委員長を兼任。2025年6月 読売新聞グループ本社 代表取締役会長・主筆 国際担当(The Japan News 主筆) 読売新聞東京本社 取締役。著書に「政治家の胸中」「政治家の責任」(藤原書店) 「終戦詔書と日本政治」(中公新社) 「やさしい国会のはなし」ほか「やさしい」シリーズ(法学書院、編著)などがある。聖学院高等学校出身。