2024年4月、京都産業大学理学部の勝股審也先生は、国立情報学研究所の蓮尾一郎教授、石川冬樹准教授と共に、科学技術分野の文部科学大臣表彰(科学技術賞)を受賞した。受賞理由は「来るべき情報技術の社会的信頼を担う数理的ソフトウェア研究」。自動運転や生成AIといった最先端技術の安全性を、数学の力で保証するという画期的な成果が認められたものだ。先生にそこに至るまでの道程を振り返ってもらった。

札幌で育まれた研究の原点と大学での転機
「大学に入るまでは、電気電子工学の方がワイルドで面白そうだと思っていました」
勝股先生の探求の原点は、札幌で過ごした少年時代にある。幼少期より電気工作やプログラミングに親しみ、高校生になると「コンピュータは、一体どうして動くんだろう?」という根源的な問いの解明に没頭する。ハードウェア、OS、プログラミング言語。無数の仕組みが複雑に絡み合うこの魔法の箱を、根本からすべて理解したい。その強い思いから、先生はまず、その根幹であるハードウェアの道を志し、大学では電気電子工学科の門を叩いた。
しかし、大学1年の春、一枚のチラシがその信念を根底から揺るがすことになる。
「コンピュータサイエンスの勉強会」。何気なく参加したその場所で手にした英語の専門書に書かれていたのは、計算という行為そのものを抽象的に捉える、深く美しい理論の世界だった。
「衝撃でした。コンピュータの根源は、物理的な機械だけにあるわけじゃない。その動作を支配する、もっとコンセプチュアルな“魂”のようなものが、理論の世界に存在することを知ったんです」
この出会いが、勝股先生をハードウェアの探求から、プログラミング言語や計算理論という、より抽象的な分野へと導く。目に見えるモノから、目に見えない「構造」や「関係性」そのものへ。探求の舞台は、ここから大きく姿を変えた。それは、数学の中でも比較的新しく、極めて抽象度の高い「圏論」という分野だった【コラム①参照】。
「微分方程式が物理の様々な現象を説明してくれるように、圏論はコンピュータの多様な仕組みを説明してくれる学問に見えたのです。物理学者が数式を手に宇宙の謎に迫るように、自分は圏論を手にコンピュータの魂に迫ろう。そう決意するまでにそう時間はかからなかった」
「良い意味での孤独」が育んだ独創性
理論の世界に魅せられた勝股先生は、修士課程では京都大学数理解析研究所(数理研)へ。博士課程ではイギリスの名門、エジンバラ大学へ進学し、コンピュータ理論研究の世界的中心地で探求を続けた。
帰国後、古巣である数理研の助教として、2004年から2017年まで、十数年という長い期間を研究に捧げる。「良い意味で孤独だった」と語るこの時期は、欧米が先行する分野で、自分だけの武器を磨くための重要な鍛錬の期間となった。
「学んだことをそのまま受け入れるのではなく、ひっくり返したり、遠くから眺めたりして、自分なりの物の見方を確立することを意識していました」「改良するだけでは、ただ器用な人で終わってしまう」
先生は自身を「問題を解く人間」ではなく「理論を構築する人間」だと語る。人の敷いたレールの上を走るのではなく、独自の視点で世界を観察し、新たな地図を描く。その求道的な姿勢で研究を続けて10年の歳月が経ったとき、一本の論文が海外のトップ研究者の目に留まり、世界の舞台への道が拓かれた。
理論を社会の「信頼」へ
孤独の中で研ぎ澄まされた思考は、やがて大きな共同研究を支える柱の一つへと発展する。国立情報学研究所の特任准教授として参画したプロジェクトで目指したのは、自動運転やAIといった「来たるべき情報技術」の信頼性を、いかにして保証するかという壮大なテーマだった。
従来のソフトウェアの安全性を保証するのは、例えるなら設計図のある機械の安全性を確認するようなものである。信号が設計通り来ているか、部品どうしが想定通りかみあっているかをチェックするように。しかし、膨大なデータから自ら振る舞いを学習するAIや、周囲の状況に応じて自在に判断を下す自動運転システムの場合、その動作は機械が習得した経験に基づいて行われるため、その内部を見て安全性を確認することは極めて困難。こうした状況を打破すべく、プロジェクトでは数学から工学まで幅広い人材を集め数多くの研究成果を生み出した。
成果は文部科学大臣表彰へとつながる。特に勝股先生はプロジェクトメンバーのDavid Sprunger氏と共同でAIに関する研究に大きく貢献した。
「AIの世界では、経験的にうまくいくと知られている手法(ヒューリスティクス)がたくさん使われています。しかし、なぜそれがうまくいくのか、数学的な正当性が十分に確立されていないものもあります」
Sprunger氏と先生は、回帰的ニューラルネットワーク【コラム②参照】の学習アルゴリズムの導出を、専門である圏論を用いて再構成することに世界で初めて成功。これにより、いわば職人の勘と経験で成り立っていた技術に、「数学的に正しい」というお墨付きを与えたのだ。これは、AIの信頼性を向上させる上で極めて重要な一歩であり、学術的にも抽象的な数学と最先端AIとの強い結びつきを明らかにするという大きな意義を持つ。
プロジェクトでは、自動運転車の安全性を数学的に証明する手法も開発され、国際規格への展開も進められている。多様な専門家が集うチームの中で、先生は自身の役割を「理論の門番」と考えていたという。その門番が守り育てた理論は今、未来の技術を社会へと橋渡しする「信頼」の礎となっている。
※JST ERATO蓮尾プロジェクト (2016-2025)
自分自身の“設計図”を描こう
急速に進化するAIを前に、「人間の仕事はなくなる」という不安の声も聞かれる。しかし、勝股先生の見方は違う。
「AIは非常に役立ちますが、鵜呑みにはできません。平気で嘘もつきますからね。だからこそ、それに自分の思考を丸っきり委ねてしまうのは、あまりにもったいない。自分で考え、試し、試行錯誤するプロセスそのものに、人間ならではの楽しさがあるのではないでしょうか」
先生のこの信念は、次の高校生へのメッセージにも色濃く反映される。
「今の高校には『探究学習』がありますよね。僕自身、子供の頃から、一つのテーマを“行けるところまで行く、可能な限り突き詰めてみる”という経験をとても大事にしてきました。答えがすぐに出なくても、自分なりに考え抜き、何かをやり遂げたという感覚は、何にも代えがたい財産になります」
情報や答えが溢れる時代だからこそ、この言葉はより一層輝きを増す。AIを思考停止の言い訳にするのではなく、自分の探求を加速させるパートナーとして使いこなす。その先には、自分だけのユニークな「設計図」を描くという未来が待っている。勝股先生の歩みは、そのことを静かに、しかし力強く示している。
コラム① 圏論とは何か?
圏論(Category Theory)は、数学的な「対象(オブジェクト)」と、それらの間の「射(アロー)」と呼ばれる関係性を、統一的に扱う数学の一分野である。
個々の対象(例えば「数」や「集合」といった具体的なモノ)の内部構造がどうなっているか、という点には深入りしない。その代わり、対象から対象へと向かう「射」(関数や変換などを一般化した概念)が、どのように結びつき、合成されていくかという「関係性のなす構造」に注目するのが最大の特徴だ。
この抽象的な視点により、一見すると全く異なる数学の分野(例えば、幾何学と代数学)や、コンピュータ科学における様々な概念(データ型とプログラムなど)の間に、共通の構造を見出すことができる。
そのため圏論は、異なる分野の知見を橋渡ししたり、複雑なシステムを構成要素間の関係性として整理したりするための、強力な「共通言語」あるいは「思考の枠組み」として機能する。
コラム② ニューラルネットワークとは
ニューラルネットワークは、人間の脳を構成する神経細胞(ニューロン)のネットワーク構造を模した数理モデル。現代のAI、特に画像認識や言語モデルなどの根幹をなす技術として広く利用されている。ネットワークの中にループがあるものを回帰的ニューラルネットワークと呼ぶ。
モデルは、情報を入力する「入力層」、中間処理を担う「中間層(隠れ層)」、そして最終的な結果を出す「出力層」から構成される。各層にある「ノード(ニューロン)」は、重み付けされた結合によって結ばれており、入力された情報は、この重みに従って処理・伝達される。
「学習」とは、大量の訓練データをネットワークに入力し、望ましい出力が得られるように、各結合の「重み」を自動的に微調整していくプロセスを指す。この重みを更新するための計算規則が「学習アルゴリズム」であり、AIの性能を決定づける心臓部にあたる。

京都産業大学 理学部 数理科学科 教授
勝股 審也 先生
京都大学工学部電気電子工学科卒業、同大学院理学研究科数学・数理解析専攻修士課程修了。エジンバラ大学理工学研究科にてPh.D.を取得。専門はプログラミング言語理論、計算理論。京都大学数理解析研究所助教、国立情報学研究所特任准教授などを経て現職。札幌南高等学校出身。
