2026年、大学新入生の皆さんに、まず問いたいことがあります。皆さんは何のために大学に入学したのでしょうか。学びたいから、仲間を創りたいから、色々あることかと思います。今回は、その中でも特に大学の本分である「学問」について話したいと思います。

 

 

突然ですが、「学問」とは一体何でしょうか。

 私たちは往々にして、効率的に「答え」を出すことや、誰かが用意した「正解」をなぞることに習熟してしまっています。しかし、ネット上に知識が溢れ、AIが瞬時に論理的な回答を導き出す現代において、単なる知識の習得としての「学習」には限界があります。大学という場において真に求められるのは、既存の知識を疑い、「なぜ自分はそう問うのか」と自らの在り方を問い直す、いわば「自分自身のものさし」を育てる営みなのです。これこそが、学問の本質にほかなりません。学問とは自分の内に自分を見つめるもう一つの目を持つことなのです。

 現代の日本社会には、「いい大学、いい会社、高い年収」という強固な「成功のレール」が存在します。それに乗っている限り、周囲からは称賛され、楽に生きていけるかもしれません。しかし、それで「自分の人生」を生きていると言えるでしょうか。もちろん、心からその既存のルールを信じ、自分はこれだと考えるのであればそれはそれでよいことです。ただその場合でも、一人ひとりが「別のレール」を認めるという、いわば心の余白とでもいうべきものを持たないと、社会はギスギスしていきますし、現に今そうなっているようにも思います。大学は多様な人が集まる場であるからこそ、その多様性を体で感じることがとても重要なのです。

 

 そこで重要になってくるのが対話です。対話は、もちろん他者とのコラボレーションに欠かせないものですが、学問する際にも、他者との意見交換を通じて自身が正しいと信じてきた価値観を一度横から眺めてみるためにも必要です。いうならば、対話とは自己の内省を深め、「我が身を振り返る」ための鏡のような存在なのです。
 
 学問は決して一人で完結するものではありません。自分の視野の狭さを知り、新たな視点を得るためには、他者との「対話」が不可欠なのです。異なる分野や価値観を持つ人々と出会い、自分自身が変わる覚悟を持って対話に臨むこと。その構え、プロセスこそが、大学を「学問の場」たらしめるのです。

 「将来のキャリア」を築くために大学を利用するのも一つの方法かもしれません。しかし、キャリアの本質を問わぬままでは、単に「働く、食うために働く」という循環に陥ってしまいます。これでは一生幸せは訪れないのではないでしょうか。なぜなら我々は本来、「人生を生きるために働く」のですから。では、その「人生」とは、そして、「生きる」とはどういうことか。この問いを深めることも、大学で学問するということなのです。

京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授

宮野 公樹先生

1973年石川県生まれ。学問論、大学論、学事政策。文部科学省学術調査官、高等研究所主任研究員、日経STEAMアドバイザー、近年は「問いの立て方」(ちくま新書)など著書多数。2025年5月、NHKによる数ヶ月間の取材がドキュメンタリー番組に(ETV特集「ねちねちと、問うーある学者の果てなき対話ー」)。

 

京都大学

「自重自敬」の精神に基づき自由な学風を育み、創造的な学問の世界を切り開く。

自学自習をモットーに、常識にとらわれない自由の学風を守り続け、創造力と実践力を兼ね備えた人材を育てます。 学生自身が価値のある試行錯誤を経て、確かな未来を選択できるよう、多様性と階層性のある、様々な選択肢を許容するような、包容力の持った学習の場を提供します。[…]

大学ジャーナルオンライン編集部

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