ポスターの注視位置(左)と典型的な軌跡(右)を描画したもの
「なんとなく」をデータで可視化する
「このレイアウトのほうが読みやすい」「この広告は印象に残る」——そうした感覚的な気づきを、誰もが納得できるデータへと変換していくのが、杉尾ゼミの学びのスタイルだ。
学生たちの実験でよく使われる視線計測装置は、人が画面上のどこを・どんな順序で・どのくらい見ているかを記録する。実験で提示した情報に対して、反応の速さや正確さを測ることで、どんな条件では情報処理がスムーズで、どんな条件では難しくなるかを探る。生理指標から「リラックス状態」を数値化し、それが作業パフォーマンスにどう影響するかを調べた卒業研究もある。真っ暗な部屋で自然音を流し、ビーズクッションに横たわるリラックス空間を体験した後に創造的な課題を解いてもらうと、通常時よりも創造性が高く発揮されたという。「一休みしたらまた頑張れる」そんな誰もが漠然と信じてきた経験則を、きちんとデータで検証する——こうした研究が生まれるのが、文化情報学部という場所だ。
杉尾ゼミの研究テーマの出発点は、学生それぞれの経験、つまり育ってきた「文化」に端を発したものが多い。新体操を続けてきた学生が「審判はどこを見ているのか」という疑問を抱えて実験を設計し、スポーツ映像の視線データを取る。お菓子好きの学生が「このパッケージはなぜおいしそうに見えるのか」を問いに変え、認知実験を組み立てる。身近な文化や日常の疑問が、そのままアカデミックな研究へと結びついていく。
文化情報学部で心理学を学ぶ意味
杉尾教授は心理学を専門とする研究者だ。文化情報学部の学びは多岐にわたり、それゆえに他学部と比較されることも少なくない。心理関係の資格取得やカウンセラーを目指すなら心理学部が相応しいし、情報システムは同志社大学の理工学部でも学ぶことができる。
では、なぜ文化情報学部なのか。杉尾教授はこう語る。「文化情報学部で学ぶ意味は、文化という枠組みの中で人の心の働きを捉えることにあります」。心理学の知識や実験手法を駆使しながらも、「この社会・この文化の中で生きている人」を分析の対象とすること——それが、文化情報学部で心理学を学ぶ意味だ。
映画の本国版と日本版のポスターがまったく異なるデザインになるのも、偶然ではない。日本文化の中で育った人の認知特性に合わせて、情報の提示の仕方が最適化されているからだ。文化とマーケティング、文化とUIデザイン、文化とステレオタイプ——こうした交差点に立つ問いが、この学部の研究を貫いている。
文理の壁を超え、AIと共存する時代に求められる力
文理融合という言葉に、「自分は文系だから……」と引いてしまう高校生もいるかもしれない。しかし杉尾教授は20年の経験からこう断言する。「文系入試で入った学生が理系的な研究室に所属する例は珍しくありません。数学が苦手でも、自分のデータを目の前にした時、人はその数字を読みたくなる。動機づけが生まれれば、統計もデータ分析も、思った以上に身につけられるものです」。
学部の入学者は文系・理系がほぼ半々。入試の区分と研究のテーマはかならずしも一致しない。大切なのは「疑問を解決したい」「興味を追究したい」という気持ちだ。
では、卒業後はどのような場所で、その力を発揮できるのか。AIが画像を生成し、広告コピーを書き、パッケージデザインの叩き台まで作れるようになった今、問いはより切実になっている。「なぜこのコンテンツはバズるのか」「なぜこの広告は刺さるのか」——その問いに、感覚ではなくデータで答えられる人材が、今まさに求められている。
杉尾教授の答えは明確だ。「AIのアウトプットを最終的に評価するのは人間です。『こちらのデザインの方が、この文化圏の人に刺さりやすい』『これはこれまでにない発想だ』という判断は、人がどのように情報を処理し、何を心地よいと感じるかを理解していなければできません。AIを道具として使いこなすためにこそ、人間の認知についての知識がより重要になっている」。
センスや直感だけに頼らず、人間の認知と文化の仕組みをデータで理解する——その力を持つ人間が、AIと人をつなぐ存在になる。文化情報学部は、その力を育てる場所だ。

同志社大学 文化情報学部 認知行動科学研究室
杉尾 武志教授
京都大学大学院情報学研究科博士後期課程修了。博士(情報学)。学生時代、能楽部の練習に取り組む中で、人間がどのように空間を捉えているのかに興味を持ったことが研究の原点。心理学実験や脳活動の計測を通して、人間の視覚認知メカニズムの解明に取り組んできた。近年は、表やグラフの理解における視覚的推論の役割に関して研究を進めている。京都大学大学院情報学研究科助手を経て現職。
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